No.411 '02/1/21

「離れ」の話


(今日の内容は「マイヌング」的。書いていくうちにこんな風になってしまいました。(笑)前振りになってしまいますが、入場者の多少の話ではないんですよ。クラシック音楽を演奏する者の(私ですが)、姿勢を書こうとしたのですが・・・・・・・)

「クラシック離れ」が言われて久しいですね。
個々の演奏会では盛況なものもあって、そういった関係者の方々にとっては「クラシック離れ」など無いとおっしゃるかもしれませんが。
しかし、周りでは(関西では、ということでしょうか)「クラシック離れ」の話がそれぞれの実感として受け止めている方が多いと思います。

外来演奏家による話題の演目でも大阪では「人が入らないと」ということで素通りです。
愛知や、東京へと聴きに行かなくてはならなくなっています。
一時的なことであればいいのですが、なかなか先が読めないのがこの世界ですね。
東京のマスコミの方の、「大阪は大変らしいですね」という風なことを聞いてから、「実は大変なんだ」と思う呑気な私です。

いつも演奏することで頭が一杯のわたし。
普段の演奏会などではお客さんの入りなど余り神経質にならないのですが、その私でもいずみホールでの定期演奏会は少し気になります。

思い出します。
あの大震災を境に観客数が減りました。そして、しばらくその状態が続きました。
震災前の我々の演奏会での入場者数が上昇の線をたどっていただけに、その後の落ち込みは震災の悲惨さと併せて事情が事情だけに心の重い日々がしばらく続きましたね。

しかし、ここ2年ほどでまた戻ってきたのかな?というのが私の印象です。

まぁ、そうはいうものの、私たちの演目、そうお客さんが入るジャンルでもなく(笑)(シュッツや余り知られていない作曲家を選んで演奏しています)、過去の実績の経緯の中での比較です。つまりよく見かける「当社の比較」というやつですね。(笑)
<印象>は我々の演奏会だけに限ったことなのかもしれないのですが、そう実感します。
「クラシック離れ」をそう深刻に受け止めることもなくやってこられたのも、我々には熱いお客さん、毎回熱心に応援してくださるお客さんがいらしゃったからこそです。そのことの幸せを今さらながらかみしめています。

しかし、話は戻りますが一般論としてはやはり全体的に演奏会での観客数が減っているのではないか、「離れ」が起こっているのではないかと実は心配なんです。

「クラシック離れ」は今に始まったわけではありません。
いつの時代にも叫ばれているように思います。(笑)
更に、これに併せて昨今では「読書離れ」「活字離れ」も言われるようになっていますね。
(出版界も厳しいらしいです)
これって、日本だけの傾向なんでしょうか?

「流れ」というものは変えられないですね。
<時流>という大きな流れ、そう簡単には変えられないですよ。
「変えよう」なんて大それた事を考えないで、それよりは、ひたすら作品の魅力を追求、それがお客さんと共有したいという強い希求に支えられたものであるなら、人が「離れ」て行こうが「離れ」まいがやはり<し続ける>ことなんですね。
<し続ける>。
自分にとって<かけがえのない><切実>な事として・・・・・・・そう思うのです。

魅力がないということで起こった「離れ」ならいたしかたないことでしょう。
しかし、<知ることなく><知られることなく><出会うことなく>「離れ」が起こっているのだとしたら・・・・・・・これは残念です。

「作品の魅力を追求する」そして「広める」、この二つのことが私のような音楽家には必要なんですね。
知っていただかなければ!
いかに演奏が、そして、いかに作品が魅力に満ちているか!

今年の抱負、やはり落ち着くところへ落ち着きました。(笑)

(「抱負」らしきものを書かなくては・・・・・それが頭のどこかにあったのですね。今年遅めの<決心>表明でした)

No.411 '02/1/21「「離れ」の話」終わり