No.418 '02/2/17

「生命の輝き」を表現したい


愛知県は岡崎での演奏会を控えて「アウローラ・ムジカーレ」の練習が続いています。

昨年から始まったこの演奏会、ホスピスや大学病院で300余名の方々を看取る経験をされた天野幸輔さんの提唱で実現しました。
「死」や「生命」をテーマに、「生きることの素晴らしさ」を考えたいという趣旨だろうと思います。
その思いに賛同しての参加です。

「能楽堂」での演奏、そして「能楽堂でシュッツの受難曲を」という天野さんが目標を掲げた3回シリーズの2回目。
おそらくこの試み、西洋の響きと日本文化様式との出会いという意味でも興味深い演奏会になると思いますね。
昨年の経験からいっても今後面白くなりそうな演奏会になると、私もワクワクです。
今年は我々のメッセージ性も濃くしたいと思いました。去年は指揮なしで「アウローラ」に演奏してもらったのですが、今回は私が振ります。
最終回を控えての「生命」に向かって、いっそう加速させたいと強く思うんです。

「死」を扱うのは難しいです。
そして「生命」を説くのは更に難しいと私は思っています。
説く人の「人」が出てしまうんですね。
「生命の尊さ」「生命の輝き」を説けば説くほど、説く人によってはそこから「懐疑」的な感情も生まれる可能性があると思いません?
「押しつけ」でない想い、「思い込み」でない意見、「独りよがり」でない行動・・・・、そうでなければ。
一つ間違えれば、<要らぬお節介>となるだけですよね。

「アウローラ」の練習風景です。
選曲をしています。

それぞれが向き合いながらの練習。
声を聴きあい呼吸を感じあいながら進められます。
彼らの真摯な魂の響きが立ち上がってくる瞬間です。
「死」を考える。
「生命」を伝える。
彼らたちがその<実践>でなければなりません。
言葉に依るのでなく、言葉を越えた思い、言葉以前の思いを伝えたいとの私の要求です。
それが演奏会のテーマそのものだと思うのですね。

「音楽」で一体何ができるのか?
「音楽」って全てが出てしまうんですね。良いものも、そうでないものも。
ですから、<真なる心>も実は確実に、明瞭に伝わるのではないかと思っています。

音楽することの中でも「アンサンブル」は格別です。
「アンサンブル」の成否、それは「人」としての<徳>の成果じゃないか、と思うんです。
「アンサンブル」って、協調、協和ですよね。
協調、協和って、なかなか出来るものじゃないです。
仮にできたとしても、その出来上がったものに魅力がなければつまらないですね。
その<質>が問われます。
<質>って個人の「存在感」にあると思うのですが、どうでしょう。
「己」を主張しながら「他」と協和する。
協和するんだけれど、「己」も失わない。これですよね。
その「己」たちが互いに理解し合う。
「アウローラ」の練習が進んでいく中、彼らの「心」が互いに飛び交うそのアンサンブルの妙味に耳を傾けながら「人」の在り方をそこに重ねて聴いている私です。

互いに輝かそうとするかのような練習。「アウローラ」ってやはりいいですよ。

岡崎での演奏会、いいものにしたいと強く思います。

No.418 '02/2/17「「生命の輝き」を表現したい」終わり