No.455 '02/9/18

マンスリーでの邦人曲


今日は「マンスリー・コンサート」。
もう少し早く書けば良かったのですが、でも、これからのことでもあるので書いておくことにします。

やっと、私が目指していた「邦人曲サウンド」ができたように思います。
「どういうこと?」
と、思われるかもしれませんね。
以前からこだわってしまっていたことなのですが、西洋の音楽を歌っているステージで日本語の歌を挿入したとき、とても違和感を覚えることがあったんです。
言葉が違うのだから当然、と言ってしまえばそれまでなのですが、演奏する者にとっても、聴く者にとっても何か居心地が悪くて、どっちつかずで中途半端、どちらのファンからしても不満足だったんじゃないか、と思っていたわけです。

その原因は言葉の「色」「響き」にある、そう思ったんですね

西洋の宗教音楽も歌え、日本語の曲も歌えるような「響き」、それを作り出したかったんです。
違和感を持たれる方もきっといらっしゃるかもしれませんが、すくなくとも極端な大きな発声上の違いはなくなりました。

とにかく「曲の内容」を歌いたい、と思っているんです。西洋の音楽でも日本の音楽でも。
それには先ず「言葉」がハッキリとしなければなりません。
歌詞を見なくても言葉が聞き取れる演奏がいいと思われません?
ドイツ語は何回かの「ドイツ演奏旅行」での評で「模範的」「クリアー」「ドイツの合唱団も見習うべき」という表現等でお褒め頂きました。それを受け、その後、日本語の響き作りです。
母国語の響き作りの期間を設けたんですね。

やっと、私が目指していた「邦人曲サウンド」ができたように思います。

「マンスリー・コンサート」で日本語の歌を聴いて頂こう、というシリーズが始まっています。
去年からの「西洋の合唱曲」への回帰とともに、培ってきた日本語の響き作りの成果も併せて聴いていただこうというものです。

<「内容」を伝えられるような演奏でありたい>、その思いがやっと可能となるのではないか、そう思える日々なんです。

No.455 '02/9/18「マンスリーでの邦人曲」終わり