No.480 '03/2/12

「感動」を与えるということ


私の起床は朝7時30分というのは以前に書きました。
最近夜が遅いということもあって、起床の時間が大幅に遅れることもありますが(笑)、一応その時間には目覚めることになっています。
それというのも、体内時計も一応セッティングされているのですが、我がテレビもその時間に目覚められるからですね。(笑)
7時半BS2、「まんてん」のオープニング・テーマミュージックが鳴り始めます。

目覚まし代わりの「連続テレビ小説」なんですが、今までにも面白いものもあったりして<朝起き>の楽しみになっています。
今回の作、「まんてん」は発想の面白さはあるのですが、筋立てや台詞に不自然さを感じたり、視点が右往左往しているような気がして真剣に見ることも少ないのですが、今日はちょっと「ハッと」する台詞に出会いました。

今日の放映分の最後、気象予報士の女性が主役の「まんてん」に言うのですね。
「あなたはいろんなものごとにすっごく感動する人なんや」「そして、その感動したことを素直にそのまま言葉にする、そういう不思議な才能があるのよ」と。
「ねえ、お願い。どないしたら、あなたみたいに感動できる?」「その感動のしかたを教えて欲しいねんけど」と投げかけて懇願する予報士、そして困ったような顔の「まんてん」、<くさいセリフ>で笑ってしまうシーンだったんですが、これがいやに残ってしまいました。

指揮者の仕事って、<感動>を誰よりも早く感じて、演奏中なんかも少しだけ先走って示す人のことなんですね。
その<感動>をどう伝えるか、それを示すのが指揮者の役割であり、また演奏者の役割なんだ、ということを今日の「ドラマ」を見て思い出してしまったんです。
<感動>があったから、この仕事をし続けている。この当たり前のことを思い起こされたんですね。

最近、再演する作品が増えてきました。
再演を重ねることによって演奏もより充実したものになっていくということなのですが、ひとつ間違うとその演奏からは初めて感じた時の<感動>が薄くなってしまうということだって起こります。
これが怖いですね。
演奏することで<感動>が薄くなる、これは音楽することの致命傷になるのではないかと思うんです。
最初に感じた<感動>が伝えられる演奏、これが最高ですね。

ピッチ、ハーモニー、アンサンブル等の精度はどんどん上がっていっても、作品の共感に通じる<感動>がなければ空しいです。(演奏者の<感動>ばかりで、合唱としてのテクニックが付いて行ってない演奏も空しいですが(笑))
聴く人たちが何に<感動>するかは人それぞれ違うかも知れません、しかし、せめて演奏する者が感じた<感動>は伝えられなければいけませんよね。

今週の土曜日、いずみホールでの「日本のコーラス<入門から〜真髄まで!>」が頭を占めている目覚めでしたね。
テレビからの<感動>というセリフに反応したのは、私が一番この言葉を気にしているからでしょう。(笑)

作品にも<感動>したい、ホールの響きとも<感動>したい、聴衆との出会いにも<感動>したい。
人って<感動>するために生きている、そう思うんです。

今日の「日記」は<感動>という文字の洪水でした。(笑)
<文字>だけでは終わらせない演奏にしたいですね。

No.480 '03/2/12「「感動」を与えるということ」終わり