No.495 '03/5/17

海の生き物と人の社会


今、「和歌山バッハ・コール」の合宿に行くのため電車で移動中です。
家から合宿所の最寄りの駅まで約2時間ぐらいかかるものですから、色々頭をめぐらせています。
昨日、伊丹空港に着いたときからもう仕事モードに入りました。
スコア読みや調べもの、練習計画などチラチラ頭を過ぎります。
綿密に計画は立てられないのですが(笑)、本番までのスケジュールはなかなか厳しいものがある、とは解るんですね。(もうタイトな練習日程であることは間違いありません)

自分の勉強や練習スケジュールと併せてその時思い出すのは、団員一人一人の「顔」です。
それぞれの気質や、性格、それに私の知りうる限りにおいてのそれぞれの<生活>を想像します。
楽譜を読めば読むほど、歌い手のそれぞれの「顔」が出てくるんですね。

まぁ何といろいろな人たちがいることでしょう。
それぞれが精一杯生きてるって感じで毎日を送っている、それだからこそ個人的に大きな難問や壁にぶつかるわけです。
それが個人の力で解決できればいいのですが、できなければ団の「環境」そのものを変えてでもフォローしたいと思うのです。
そのタイミングを外さないようにしたいんですね。

海の中での様子がどれほど人間社会にとって参考になるかは解りません。
下等動物の社会です。たいしたものじゃない、ということも言えますが私は随分教えられる所があるんですね。
今回のダイビングは特にそのことを感じました。

一糸乱れぬ動きで移動するもの、あるいは一定の場所に留まるものの中で反対の動き、バラバラの動きを示す魚に出会うとなんだかホッとするのは私の心の反映なんでしょうね
コブシメの雌は何事があっても産卵し続けていました。
それを見守る雄は雄同士で権力争いをし続けています。
群れて棲息するもの。
一匹で生きているもの。
ある特定の場所に群れる同種の魚たちの中に、明らかに違う別種が入り込む、あるいは共同生活する。
寄生して、あるいは寄りかかって、あるいは助け合って棲息するもの。
生涯動かないんではないかと思われるほどの無精を続ける生き物。
全ては自然界の「大きな輪」によって、<理由>があって成り立っている不思議を痛感するんです。

人とそっくりの顔をした魚が沢山います。(笑)
あの人にそっくりの<そっくりさんたち>がいっぱいいます。
動きが似ている魚もいっぱいいます。

自然の中に「癒し」を見つけたのでしょうか。
いや、「癒し」ではなく「生きる不思議」を教えてもらったのでしょうね。
「生きる」ことの尊さを教えてもらったように思います。

と書いて、待ち合わせの駅に着きました。
合宿、面白く練習できそうです。(笑)

No.495 '03/5/17「海の生き物と人の社会」終わり