No.523 '03/9/17

宇治山田高校生の<感想文>


三重県立宇治山田高校の「芸術鑑賞会」での感想が届きました。
書いてくれたのは当日一緒に演奏もした同校の合唱部の面々です。
封を開けば、色もサイズもまちまちの用紙が入っています。
まず、これがとても私は気に入りました。
決まった用紙にきれいに書かれているものとどこかで思っていたのでしょうが、まずそのバラバラなのに(笑)驚きました。

一緒に入っていた指揮をされている向井さんの礼状に、「部員たちの感想をそのままお送りいたします」という配慮にまず感謝です。
文章が拙かったり失礼な言葉使いもたくさんあって・・・・と書かれているのですが、全然私はそんなふうには受け取りませんでした。
率直な、そして真っ直ぐな思いがそのまま表現されていてとても感動したのですね。
そして音楽に対する的を得た言葉がいっぱい散りばめられています。
「自分たちは変わった」「音楽を楽しむということを改めて感じた」そして「シュッツ合唱団と歌えたことは一生の宝物です」という<一生>はちょっとオーバーなんじゃない、と思わせるような感想もあったりしましたが(笑)、もう全部掲載したいほどのそれぞれの気持が伝わってくる文章なんです。

合唱に燃えている、そんな生徒達。
去年全国で名を轟かせたという自負が、そして今年も良い演奏をして良い成果を出したいという思いの表情が生き生きとしていて素敵でした。
今、コンクールの練習が続けられていることでしょう。
彼らの前で指揮をしながら思いましたね。自分たちだけの「思い出作り」だけには終わらさないで下さいね、と。
自分たちの思い出も本当に大切なのですが、演奏するというのは、審査する人にも、会場に来ていただいている人にも、スタッフにも、作曲家にも、作詞家にも、そして合唱を愛する全ての人たちにも音楽の楽しさを、そしてそのメッセージを伝えることです。そのことのために、その時を、一瞬を、燃え立たせるんですね。
彼らの演奏を聴き、私の指揮で変化していく様を見て、彼らはそれらを示してくれるのではないかと感じました。
明るく、躍動をもって、心豊かに、色鮮やかに、声を、響きをコンクールの会場いっぱいに満たして欲しいと思いましたね。

ここのところ、土日をコンクールの審査に出掛ける日々でした。
帰阪するときはちょっとブルーになっています。
コンクールの演奏がなかなか楽しめなかったのですね。
音楽の楽しさが伝わって来ないのですよ。
コンクールの功罪について考えたことが私の頭の中を浮き沈みします。

しかし、宇治山田高校の合唱部から送られてきた彼らの感想文がそんな憂鬱な状態を吹っ飛ばしてくれました。
エールを送られているように私には思えたのですね。
全国には沢山、合唱を楽しんでいる人たちがいます。
コンクール目指して優劣を競い、コンクールを目指してまっしぐらに突き進んでいる学校や合唱団もあれば、そういうのとは縁のない所で合唱を楽しんでいる人たちもいます。
それぞれに人との交流も生まれ、それぞれの人生の中で大事な思い出を作っていっています。
でも、歌う場所は何処であれ、歌そのものの中に<今を生きることの><未来を想うことの>メッセージが含まれてこそ歌となると私は思っています。
柔軟で、明るく、屈託無く想いを綴る、未来に託して自分たちの生きるメッセージを送る演奏、それをコンクールでもっと聴きたいと思う私です。
合唱を経験する人たちが毎年増え続けていくのですね。
その人たちがそれらの経験を通して、後々に大きく膨らませることのできる人生を送っていただきたいと思うのです。
宇治山田高校生の<感想文>を読み、また彼らの歌声を思い出しながら、そんな希望の光を見た思いでした。

No.523 '03/9/17「宇治山田高校生の<感想文>」終わり