No.9 '03/4/12

「テンポ・ルバート」


テンポ・ルバート<tempo rubato(伊)>とは一定の厳格なテンポで演奏するのではなく、曲の解釈にのっとって音符の長さを柔軟に伸縮させる演奏のことをいいます。(もともとの意味は18世紀から19世紀初頭にかけて、一定のテンポで奏する伴奏の上で微妙にメロディーを揺らす奏法でした)
とは<ぬすまれた>という意味です。(テンポを盗むということですね)
これに対するのはイン・テンポ<in tempo>で、テンポを揺らさないで一定して演奏することです。

よく見かける(聴かれる)のですが、合唱の演奏で聴き手が追いつけないような、または船酔いするような、テンポが自由にめまぐるしく変化する演奏に出会うことがあります。(笑)
たぶん指揮者の気分がそうさせるのでしょう。
あるいは演奏する側の都合(?)でそうなるのかもしれません。(微笑)

感情から生み出されるテンポ・ルバートならば説得性もあるのですが、どう聴いても恣意的、あるいは都合によったものでは演奏に付いていけなくなってしまいます。
学習者がまず最初に演奏に臨もうとするとき、楽譜からイン・テンポで曲を聞き取る、あるいは読みとる練習をしたほうがいいですね。
技術的な事柄や、読み取り方に自分自身では気が付かない癖があるかもしれないからですね。
これを是正するためにはメトロノームの使用が効果を発揮します。

しかし、そうして訓練された演奏でもイン・テンポの音楽では窮屈です。そこには人間が息をするように音楽にも「息づかい」が必要となります。
そこでテンポ・ルバートの登場となるわけです。
さて、ここからが真の<音楽作り>です。

具体的に「テンポ・ルバート」の用い方と場所を書き出してみましょう。
*だんだん速くする。(フレーズの始まりとしてのスピード感)
*だんだん遅くする。(フレーズの終わりとしての収束感)
*フレーズとフレーズの間(ま)の取り方。
*言葉の語感に基づく緩急法。

大きく分けて以上のことに関して必要となるでしょう。
他に、重要なこととして「拍子が持つ緩急法」があります。(これについてはNo.7  「拍子」の不思議を参照して下さい。また関連事項としてNo.2  テンポ設定もあります)

指揮者の役目は決して<トレーナー>に徹することではないですね。
テンポを示し、リズムを整え、奏者の技術的な欠点を見つけて指導するのは教師としては課せられていることかもしれません。
しかし、指揮者と演奏家の関係は違います。
指揮者はイン・テンポについても熟知し、その上にたってテンポ・ルバートを施しながら解釈を伝える。
その暗示や示唆を通して奏者は音楽の説得性と演奏としての喜びを得る、そういう関係にあると思うのです。
過度でなく、不自然でなく、押しつけでない「テンポ・ルバート」が用いられるようになると音楽の世界はより深く、そして密接に「我々のもの」となると思います。

指揮台から「テンポ・ルバート」を示せるようになるためには相当の時間がかかりますね。
しかし、もしこの手法を手に入れることができればそこはもう充足の場、至福の場となることは間違いありません。(それにともなう集中力はとても大きなものですが)
心が自由になっていくような「テンポ・ルバート」が目標ですね。

No.9 '03/4/12「テンポ・ルバート」終わり