第42回('02/8/20)

実践でのメロディーとハーモニー作り(ピタゴラス音律)

今回からメロディーとハーモニー作りについて書きます。
“メロディー”に関しては、音を<水平>にとらえた「音律」を取り上げます。
“ハーモニー”に関しては、音を<垂直>にとらえる「和声(和声法)」について述べることになります。

「音楽とは垂直の要素と水平の要素がたえずたたかっている場所」なんですね。
どんな音楽であれ、この横の流れと、縦の響きが重要な音楽の骨格となります。

発声に関する質問も多くお寄せいただいているのですが、しばらくこの事柄について書きます。(発声にも参考になると思います)
ご質問は今後も歓迎しますのでどうぞご遠慮なく送って下さい。私信でお返事を差し上げるか、またいずれここに反映させていただくことになろうかと思います。

さて、それでは本題です。
先ず、旋律の代表「グレゴリオ聖歌」の音律(音律とは簡単に言えば、音の並び方ですね)について。
この旋律をピアノに代表される調律された(平均率化された)楽器に合わせて歌うことが多いと思うのですが(伴奏というわけではありません。音を取るために合わせられることですね)、これは間違いですね。
本来は「ピタゴラス音律」(*)に即した音階によって歌われなければなりません。
この「ピタゴラス音階」、実は今日標準化してしまった平均率に比べて全音が広く、半音は驚くほど狭い音程なのです。
詳しく書くと
〔全音〔トノス〕は現在の平均率の全音に比べると+4セントの差。半音〔リンマ〕は-10セント〕ということになります。(セント=音程間を解りやすく表示する方法で、全音は200セント、半音は100セントとしてあらわします。オクターブは1200セントです<民族音楽学者エリス〔1814-90〕によって提唱>)
ですから、全音は4セント分だけ広く、半音は10セント分狭くなっているわけです。

*ピタゴラス(紀元前582頃-493)はモノコード(一弦琴)を使って実験し、純正五度の積み重ねを繰り返して12個の音を取り出しました。それを並べ替えて(ここではその詳細は省きます)以下のような音階を生み出しました。

音階を示しますね。(真ん中の()内はセント数です)

この音階で歌われる「グレゴリオ聖歌」には独特の味わいがあります。「ピタゴラス音階」によってこそ「グレゴリオ聖歌」はふさわしく響くのですね。

しかし、長きに渡って使われていたこの音律も複数の旋律を伴うようになる後の時代で問題が生じます。
単旋律(単音楽=モノフォニー)で歌われている間は良かったのですが、多声(多声音楽=ポリフォニー)による演奏だと、重なり合った音に「不協和」な響きが生まれたのです。(「ピタゴラス音律」では、3度の響きが驚くほど不協和になります)

さてここから「ピタゴラス音律」下での、音の垂直的な響き、「和声」の話となります。

ヨーロッパ中世の響きは純正でした。(<うなり>ゼロの、ユニゾン、オクターブ、五度、四度です)
<うなり>=音がずれているときに「ウワ〜ン、ウワ〜ン」と繰り返す波のように聞こえる現象。調律はこの<うなり>を聴きながら音高を調整します。
以下のような4度平行、5度平行の曲が残されています。(音楽理論書<ムシカ・エンキリアディス>の注釈書からの引用)

以下の曲をうなりの無い、純正な響きで当時の人たちは歌うことを理想としました。
4度による平行オルガヌム。

5度による平行オルガヌム。(上の声部が主声部、下の声部がオルガヌム)

少し時代が経つと
自由な平行オルガヌムが現れます。
下の楽曲では、開始、段落、終止は同度、完全4度音程の並進行を中心に、斜進行や反進行による経過的な長2度、長3度、完全5度が現れています。

平行法の響きは自然発生的に始まったものでしょう。
主声部(グレゴリオ聖歌や民衆歌などの旋律)の上や下に、音域的に異なる歌い手たちが美しく響く音(それが<うなり>ゼロのユニゾン、オクターブ、五度、四度でした)を即興的に加えたのが始まりだったのでしょうね。
いよいよ「和声」の始まり、というわけです。

さて、それでは実践です。
合唱人として、響き(ハーモニー)の練習は徹底的に「ユニゾン」と「オクターブ」、そして「純正の5度」の体得から始められることをお奨めしています。
特に、「純正5度」の練習は、声のコントロール、声の協和性、自然倍音など合唱の基本となるものです。
ちょっと厳しいかもしれませんが、この「純正5度」の響きを体得することなくして合唱はできないと考えます。
音楽の歴史、いや、人間の「響き」を聴き取る歴史はまさにこの5度から始まったのですから。
純正5度の響きを味わう喜びは格別です。
徹底的に純正の響きを体得してはじめて、その後の和声の歴史、響きの歴史が理解できます。

音楽における響きの歴史とは、純正の響きから適度に濁った響きへの流れです。
つまり、<うなり>ゼロという協和の響きから<うなり>のある響きへの歴史なんですね。
<うなり>ゼロをしってはじめて<濁り>の度合いも解るというものです。

しかし、今しばらく純正の響きの話が続きます。
次回は純正3度の登場、「純正律」についてです。

第42回('02/8/20)「実践でのメロディーとハーモニー作り(ピタゴラス音律)」終わり




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