第55回

伴奏はピアノ&弦&管でしょうか


以前から合唱と伴奏であるピアノとの関係を問うメールがいくつかありました。
内容は、一つはピアニストに関すること。
つまり指揮者とピアニストの役割についてですね。
これはピアニストが逸脱しているのではないかと思う質問者からの問いかけでした。
その他はピアニストの技量について。
これも不安に思う歌い手としてのメンバーからの問いかけでした。

私がこれから述べたいことはそういったことではありません。
共演する奏者ではなく、楽器としての相性の問題です。
つまり合唱に対して協演する楽器にはどういったものが相応しいのか?
その問題です。

現在ではピアノが伴奏として用いられていることがほとんでです。
つまり合唱での演奏はピアノとの共演か、或いは無伴奏か。
その二つの選択が主流を成しています。

合唱はア・カペラ(無伴奏)であるべきだと考える人が随分前からいます。
時流でもあるのでしょうか、「純粋にハモらせる」ということが最近では合唱のコンセプトになってきています。
嬉しい兆候、流れであると私は思っています。
ア・カペラ派とでも言って良い人たちは練習でもできるだけピアノを用いず、かつ作品もア・カペラでこそその魅力を発揮するのだという主張をします。
確かに無伴奏では純粋のハーモニーの追求が可能で(これは素晴らしい体験です。人と宇宙が一体になる体験と言っても過言ではないでしょう)、声にとっても表現力が研ぎ澄まされるという魅力があって歌い手を鼓舞させるものです。
合唱はア・カペラ(無伴奏)であるべきだと考える人の意見に一理あります。

ア・カペラの欠点に単色、無色、味気ないということを言う人もいますが、上手い演奏に出会えればア・カペラ(無伴奏)とは思えない響、いくつもの楽器の音色を伴っているのではないかと思える演奏を聴くことだできます。(楽器を模している演奏ではない作品です)
これは真に純粋にハモらせることで、いくつもの倍音を出すことができるからですね。多色、豊潤、煌びやかな響きが確かに出ます。

合唱の原点はア・カペラです。歴史的に見ても無伴奏が基本でした。
しかし長く続けていくと、それだけでは物足りなく感じることもまた事実。
もっと表現の幅を広げたいと思うのは自然の成り行きです。何かの楽器と協演したいと思うようになったのですね。音楽の歴史が、流れがそうなっています。(歴史の流れは後で)

現在ではピアノが協演する楽器として定着しています。(特に日本ではそうですね。ピアノ伴奏一辺倒と言ってよいでしょう)
以前から言われているのですが、純粋のハーモニーの合唱と、平均律(この言葉には少し注意が必要です)のピアノとは実は相性が悪く、協演は避けるほうがよいという意見が強くあります。
しかし、そう言われ続けてもピアノの地位は揺るぎない状態を保っています。
(以前に比べてピアニストの技量が上がりました。最高のテクニックを披露しながらの合唱との協演というのも可能になってきています。そのことの意味合いも大きいかと思います。しかし勢い余ってピアノの比重が高くなったことも確かで、音楽的な偏り、バランスを考える必要があると指摘される昨今です)
ピアノ伴奏によって、声では表現できない音色に加えて音域の広さを得ることができます。
男声では出ない低音、女声では出ない高音。確かにこれは魅力ある補強です。
親しまれた音の楽器。練習時に使われている楽器という意味合いもあり、また一応どのような楽器の模倣もできると思われているゆえの伴奏型によって揺るぎない地位を占めたのがピアノでしょう。
作曲家もピアノによって作曲しますね。
よく見る映像に、ピアノに向かって楽譜に音符を書き入れている描写があります。
あれなどまさにピアノこそが合唱にもっとも相応しい楽器だと思わせるに十分ですね。(作曲家はピアノの音色、音律で一応書くのですね。〔実は作曲家の中に響いているのはピアノの音色ではないことが多いのですが〕)
これらの理由が重なって「合唱+ピアノの音楽(響き)」が市民権を持つに至ったのだと思われます。
純粋にハモっていなくても、それぞれが反発しあっていても、「合唱+ピアノ」の音楽が音域の広さ、馴染みやすさ、音型の豊富さ、利便さによって受け入れられたからこその現状です。
その形態は長く続いています。

そういった中で、ア・カペラに戻ってみようという人々が新たに増えてきているのが昨今の動き。
ピアノ伴奏も良い、しかしア・カペラも歌ってみたい。体験したい。
納得できますね。
歴史的に見れば振り子の原理で、ア・カペラの台頭です。
一度ア・カペラでの純粋なハーモニーを体験すると、ピアノがいかに不純(純粋に比べてという意味でこの言葉を選びましょう)なものか解ります。
とてもその違和感は大きく、協演など考えられなくなってしまいます。
そういった方々がア・カペラへと向かっているのでしょうか。



結論から言えば、ア・カペラとピアノ伴奏を伴った作品は違うジャンルの作品だと思ったほうがいいでしょう。
ハーモニー重視なら「ア・カペラ」です。
ピアノ(楽器)の響きが必要なら「合唱+ピアノ」です。

本題に入るまで少し長くなってしまいましたが、私の主張、それは飛躍を承知で述べるのですが、選択肢の一つである合唱の表現拡大にピアノだけでなく、「弦楽器」や「管楽器」ともっと積極的に協演しませんか?ということなのです。
「弦」や「管」との共演は確かに幾つかの高いハードルがあります。
まずコストでしょうか。ソロならともかくやはり現実的には「弦楽合奏」になりますし「管アンサンブル」という複数のメンバーが必要となります。そのためのコストはやはり厳しい。
そしてもう一つ、それは現在ではそういった編成をもった作品が少ない、ということ。
これは作曲家側にも責任の一端があるかもしれないのですが、これもコストの問題が起因していることは想像に難くありません。
演奏できる、現実的な志向の末の「合唱+ピアノ」ということですね。

しかし、「合唱」とくれば「ピアノ」、これはちょっと定番過ぎると思うのですね。
作品群も現在では飽和状態になりつつあるのでは?と思うのですがいかがでしょうか。
もっと新しいフィールドへと向かいたいと思う私です。
ア・カペラの魅力(純正ハーモニーを維持し、声との相性の良さ)を最大限に発揮しながら作品自体の表現も拡大、聴く人の層も広がって、「合唱」がもっと可能性のある媒体として受け入れられて欲しいと願う私です。

「弦」や「管」の長所。
それは何と言っても「声」との相性の良さです。
「管」は息を吹き込んで音を出します。つまり「声」と同じなんですね。
リード楽器、そして管楽器が出す仕組みは「声帯」「共鳴腔」の関係と同じです。
息づかいも同じですね。そしてピッチもある程度可変可能ですし、自然倍音が音の基本ですから声の補強としても申し分ありません。
敢えて欠点を書けば、似すぎて困る、ということでしょうか。
「弦」は「管」以上にピッチの可変が可能だということですね。どんな音律でも合わせることができます。
また無制限の音の「伸ばし」が可能です。
音域も広い。ピッチカートやポルタメントなど「声」と協演できる奏法などまだまだ可能性があります。

合唱の歴史は「ア・カペラ」→「管との協演」(パイプオルガンも含みます)→「弦との協演」→「オーケストラとの協演」→「ピアノとの協演」という流れです。(ア・カペラは歴史を通じて支持されてきました)
未来には「新しい楽器との協演」ということになるのかもしれないのですが、今一度声との相性の良さということで「管」「弦」との組み合わせで新しいサウンド、作曲の試み、そして表現の可能性を探りませんか?という主旨がこの文章を書かせました。

一般的には困難であろう「弦」と「管」との協演。
専門的な知識やテクニックも必要となるでしょう。
だからこそ、やってみる価値はあるのではないか。
声にとって、そしてハーモニーにとっての最良の友、是非挑戦してみませんか。

第55回「伴奏はピアノ&弦&管でしょうか」終わり


【戻る】