第108回('06/08/10)

私の性格

いずれ書いてみようと思っていました。
私の性格。
こうして某かの活動を通して意見を述べたり、言ったりしているわけですから、書き手本人の「自身」を公にしておくことも大切ではないかと思っていたわけです。
しかし、自分で自分自身のことを書くということは、他人から見た目とは違うかも知れませんし、また不正確かもしれません。
でも書いておきたい! 書かなければ! と思うわけです。(笑)

それでは列挙します。

■ 「内気です」そして大の「人見知り」
これずっと悩みでした。そして今も悩みが続いています。
母親の陰に隠れてちらっと人の顔を見、すぐさま隠れてなかなか出てこないという子どもでした。
したがって一人で出かけるなんてとても恐ろしく、いつも家に閉じこもっている子供でした。
しかしです。いったん「これは恐ろしくなく大丈夫」と判れば、持ち前の「いちびり」(って解ります?大阪弁で「お調子乗り」の意味ですかね)が大爆裂、いつしかその場を我がものとし、人気者と化してしまう大変身の子供でもあったんです。(笑)

これはきっと、小さい頃から「大人の顔」を見ながら育ったためかもしれないと思っています。
言い争いや、気まずいやり取りや、様々な大人の駆け引きなどを感じ取ってしまった結果ではないかと思うのですね。
とにかく、「人」に愛されたいのにそのくせその愛してくれる「人」が怖いと思いこんでしまっていたのだと思います。

■ 守りに弱く、攻めに強い
「攻めに強い」といっても、決して弱いものに向かって攻撃するといったことではありませんよ。
人からのアプローチにとっさに対処できないでいる「内気」な性格でしたから、防御が弱く、どちらかと言えばじっくり作戦を練って周りを固めてから攻める、といった程度です。

最近は「守り」にも少し対処できるようになったような気がするのですが、子供の時がとても異常なものでしたから、対処できるようになったとはいえ、まだまだ達人の域には達していませんね。もう、人からの「攻め」にはしどろもどろになって、頭が真っ白になって、どんどん自滅していくというパターンです。(笑)
というわけで、幼い頃から「人」をよく観察する子どもでした。攻めてくる人か、攻めてこない人か。これはとても重要なことであったのですね。
そのうちに攻められる前に「予感」を感じ、攻めて来る相手がどういった「人(性格)」かを判断してしまう性格になってしまいました。
「占い」の世界に入れば結構成功したかも知れないですね。(笑)

■ 初対面に何故か「笑顔」攻勢
上記あるような性格ゆえ、先制攻撃的に「笑顔」が生まれました。(笑)
人との接触が苦手、人が怖いという思いが、自身の「笑顔」で自らを「怖くない人間」という演出に走ってしまったのですね。
それと・・・・・この笑顔・・・・、「笑顔」がかわゆいと小さい頃から言われていたこともその理由です。(笑)
人間、ほめられたものは一生それを武器にできますね。(笑)
私の場合、「笑顔」で始まることが「私はあなたの敵ではありませんからね」という宣言なんです。

■ 怠慢な人間です。
つくづく怠慢な人間だ、と思っています。しかし「楽しいこと」が大好きですから、怠慢だと「楽しくならない」ということをどこかの時点で強烈に知ったようで(笑)、がんばって・・・・、・・・がんばって怠慢にならないように努力しています。
宿題しなければ、罰や重い見返りがやってきて「遊び」ができなくなったあの悪夢の就学時代(笑)。あの「息苦しさ」は味わいたくないというのがどうも私の根っこにあるようです。

■ 辛抱強いです
私のことを「せっかち」だという方もおられるのですが、自分では「慎重で辛抱強い」人間だと思っています。
「石橋を叩いて、叩いて、叩いて、最後にもう10回ほど叩いて渡る」(笑)、そういう性格です。
ただ、「〔叩いて確かめて〕大丈夫」だと判ると誰が何と言っても「渡る!」と言い張り、電光石火の早業で事を成そうとするタイプです。
このギャップに周りは驚くようですね。(笑)

■ 曲がったことが大嫌いです。
と言いたいところなのですが、実は「曲がったもの」は結構好きです。
人間もちょっと曲がっている方が魅力的ですよね。(曲がりすぎはちょっとしんどいですが(笑))
色々な人がいる、それは楽しいことです。教えられることも多く、意外な体験、思いに至ること大です。
結果、事の「筋を通す」という意味では曲がったことが嫌いですが、人にはくねくね曲がる楽しさもなければ、と思う私です。
世の中、真っ直ぐな「直線」は無いんじゃないでしょうか。皆、曲がっている「曲線」です。
人工的に機械などで作るのは「直線」が作りやすく、「曲線」は作りにくいですね。
直線はどこまでいっても「直線」。
しかし「曲線」はいつか戻ってきそうで楽しいです(笑)。(何処へでも行けますしね)
「剛直」〜「柔軟な曲線を描く心」、そんな性格を目指している私なのではないかと思っています。




「細心で大胆」、昔そんなコマーシャルがあったような気がしますが、その言葉が私の頭をいつも回(めぐ)っています。

人の心に常に「細心」でありたいと思っています。
そして、自分が信じたものは「大胆」に突き進みたいと思っています。

「細心」という意味には〔気が小さいこと〕〔偏狭な心〕というのもありますね。
「大胆」は〔ずぶといこと〕〔ずうずうしいこと〕〔ひどく横着なこと〕という意味にもなります。
どうしてこうも「良いこと」と「悪いこと」の両端な意味を持つに至るのか?
「人の行為」というものは行為する心がけ次第で、そしてが受け手の見方によって、とても危うい側面を持っているということなのだと思いますね。
そのことを常に自戒しながら、私はやはり「細心」かつ「大胆」であり続けるだろうと思っています。

第108回('06/08/10)「私の性格」この項終わり。


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