第109回('07/01/09)

少し感傷的な私

年末から年始にかけて、恒例の「松本」→「白骨」→「さのさかスキー場」→「金沢」への旅行をしてきました。
今年はその後に「名古屋」へ廻るというスケジュールにしましたから、いつもより長い期間となっています。
旅行はいつも刺激的です。
今回も疲れを取るためということでもあったのですが、いろいろ頭の中を駆けめぐるものがあって自分を見つめるのによい期間となったのではないかと思っています。

こういう時はいやに感傷的になる私です。
込み上げるものがあって、感動したり、涙したり、それはもう大変です。
見るもの聴くもの全てがその対象です。
今回は「出会い」と「別れ」に涙してました。
普段はそういう事態に涙することは余りありません。どちらかというとその場面をしっかりと刻み込むために見つめている、考えている、といった風です。
しかし、今回はちょっと涙する場面となったのですね。

先ずは元団員、戸井ちゃんです。(写真:右から二人目)
東京から出かけてきてくれての温泉旅行です。
ご主人も迷惑なことかもしれませんが、短い時間を一緒に私たちと時間を過ごしました。
余りお喋りではない彼女。でも目で、表情で色々喋ります。
団を離れてからも私の発声講座を受けに来たり、一時戻ってきて大阪の演奏会に出演したり、仕事を持ちながら精力的に「人生を謳歌している」と私には映っています。
いつものように余り私と喋ることもなく、松本での別れ。
一度は駅構内、改札機の前での別れでしたが、東京へと帰る彼女の乗る電車には時間があるというので私たちを見送るために「大糸線」のホームまで来てくれました。
下の写真はその時に撮ったものです。
一瞬彼女の「人生」が私の頭の中を吹き抜けたと思います。
識っているわけでなく、吹き抜きけたものが正しかった、真実のものだったというわけでもないでしょう。
しかし、その時私は感動を覚えたのです。

戸井ちゃん

様々な彼女のその時々のシーンでの表情が駆け抜けたのですね、きっと。
「出会い」が、そして演奏会やレッスンで共有した時間がとても大切だったんだと当然のことにまたまた気づかせてもらったのです。
こうしてまた皆と共に彼女は談笑している。
すごく、すごく何かに感謝したい気持ち一杯になったのだと思います。
私は彼女の<温かく息づくもの>に感じたのでしょうか。



「白骨温泉」の「丸栄旅館」のピス。心配でした。
高齢となったピス。今年も会えるかなという不安がありました。
足をふらつかせながら歩いてくるピスを確認したときはもうとても嬉しかったです。
ピスの方は一年に一度の客のことなど覚えているわけはありません。
一方的な私の想いです。
でも、いつもキョトンとした目で私を見、それから少しずつ近寄ってきて体をすり寄せるピス。臭いを嗅ぎ、確かめるように何度も擦り付けてきます。
恥ずかしそうに目をそらしながら、それでいて体は逃げないで親しみをアッピールしているピス。
元気にしているか?でももう疲れているのかな?
なんて、自分を重ねているように見てしまっている失礼を詫びながら、「来年も元気に会おう!」って心の中でつぶやいていました。

ピス

いつもお世話になっているお宿の北沢さん。
北沢さんも決して口数が多い方ではありません。お料理の職人って感じです。(その通りなんですが)
本当に良くしてもらっています。
毎回の食膳がビックリ。美味しさも、そのサービス振りももう感嘆の毎日です。
一度大病されたときは本当に心配しました。
山菜採りに連れていっていただいたことや、餅つき、キノコ栽培、黒部ダム観光、露天風呂でご一緒したことなど私の脳裏にしっかり焼き付いていて、私の人生の中の大事な一コマ一コマを綴ってきて頂いています。

北沢さん

白馬には北沢さんがいらっしゃる。そう思うだけで張りが出て来る私です。
「さのさか」を去るとき、私たちが見えなくなるまで手を振って見送っていただいくその姿がいつもでも眩しく脳裏に残ります。

姫川源流

今回雪が少なかったこともあり、いつもは冬場は行けない「姫川源流」を訪れました。
「訪れた」というものの、実はお宿の「裏」と言っていいほどの距離です。
川の源がホン近くに見ることができるのですね。
「感傷」という字を用いた題にしたものの、哀しく思う、つまりおセンチな感覚ではなくこういった風景を前にすると私は「人生の悲哀」を感じます。
またその後に「力強さ」も感じ、自然が持つ「懐の大きさ、暖かさに」感謝したい気持ち一杯になります。
川(河)はスゴイ。
水はスゴイ。その恵みは計り知れなく、またその怖さもはかり知れません。
その源流に立ち、流れに揺れる水草を眺めながら「いのち(生命)」を一杯考えようとする私です。
尊さや儚さ、悠久、無力。そして何故か、人間としての「業」の深さに嘆きます。



別れ

メンバーが一人一人、宿を去っていきます。
今回、その後ろ姿を追いながら、涙したことに私自身驚きました。
意外でした。
暫くしたらまた会うメンバーです。涙が出て来るような「何か」があったわけでもありません。
昨年の一年を顧み、「お疲れさん」を言い合い、今年も音楽を「楽しもうね!」と確かめ合ってそれぞれの仕事に一時戻るだけです。
でも、この日は帰るメンバーの背中を見て、涙したのでした。
カメラのシャッターを押し、部屋の中に向き直った瞬間、ドッと目に涙が溢れました。
「お疲れ様!」「ご苦労様!」そしてあれは感謝の気持ちが一瞬にして胸一杯に溢れ出たのでしょうか、「ありがとう」って呟いていたように思います。


私は、「人間が識りたい」と思って音楽を志したように思います。
私は、「心を紡ぎたい」と思って音楽しているように思います。
私は、私に対する、全ての人に対する「祈り」でありたいと、一心に願っているのだと思います。
「少し感傷的な私」と題しました。しかし、哀しみや寂しさの涙なんかではないと知りました。
根に流れるのは「感謝」だと、そしてその涙だと私は識ります。

第109回('07/01/09)「少し感傷的な私」この項終わり。


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