第113回('07/09/09)

児童合唱団発足

「児童合唱団」を検討することとしました。
発足に向けての動きです

「児童合唱団」(「少年少女合唱団」)については、実は随分前から設立したいと思っていました。
おそらく、約30年前の合唱団(「OCM」)創設時には既に含まれていたかも知れません。
「児童合唱団」の重要性は明白でした。

音楽教育は早ければ早いほど良いと思います。
それはそれぞれ個々の才能を伸ばすという意味だけではなく、音に親しみ、音を楽しみ、そのうえ声を合わせてハーモニーを奏でることでの協調性やコミュニケーションは、人格形成にとってどれほどの重要な意味を持つか。
幼い頃から体に染みこんだ、体感した「音楽の喜び」はかならずや成人になった折にも人生を豊かにするものの一つだと信じます。

しかしながら、この「児童合唱団」設立には慎重にならざるを得ません。
いわゆる「大人」の合唱団よりは遥かに社会性も高く、また責任も多いと考えるからです。
大人としての対応、指導が、大きく子供たちの人間形成に係わります。
「心理」や「精神」といった「心」に関与するところが大であることは自明です。
指導内容もさることながら、安全性についても考慮しなければなりません。
生半可に考えて実行できるものではありません。

そういった「責任」が今まで設立を遅めたということなのですが、それが何故今日に至って創設を思い立ったか。
それはやはり「大人(成人)」と接していて、「早期合唱体験」がいかに大切であるかを毎日のように痛切することが多いからです。
ソロを歌える声楽家がいても、声を合わせることのできる声楽家は少ないです。
自分の魅力を誇示する声楽家が多くても、他の人の魅力を引き出せる声楽家はなかなかいません。
「音楽の喜び」に偏りがあるのではないか、そう私は思っています。
「責任」というものの前に立ち止まり、怯(ひる)んでいるだけでは進めない。
積極的に摸索を始めなければ、そのタイミングだと思いました。

合唱の素晴らしさは先ず第一に、他の人との協同で人間にしか味わうことのできない超自然のハーモニーを体験できることです。
また、その達成に向かうプロセスは様々な人間の可能性を秘める無限大の歩みであり、人間を見つめる希有な歩みです。
「合唱」体験は、大きく人間にとって「未来を開かせる」行いになるのではないか、そう信じて疑いません。

来春創設に向けての摸索が始まります。
どういった性格を持った合唱団なのか、どういった音楽と活動を目指す合唱団なのか明文化したものを含め、様々に明示されていく手筈です。

最近、子供たちの合唱を指導する機会が何度かありました。
その体験のなかで、以前から私の頭に深く眠っていた「児童合唱団」の思いが目覚めたようです。
これで、一括した、一貫した「合唱」を造ることができるかもしれない、その思いは私の「夢」を大きく膨らませてくれるものとなっています。

第113回('07/09/09)「児童合唱団発足」この項終わり。


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