第114回('07/11/15)

「和歌山バッハ・コール」の事後処理

今までお出で下さった方、支えて下さった方、見守って下さった方、ご協力頂いた方、その方々にお詫びをしながら「和歌山バッハ・コール」を離れた私です。
この「マイヌング」でも書きましたがある事情によってこの団から身を退きました。

しかし、その後少し心配なことがあって、私の頭のどこかにずっと団のことが気になっていました。
それは事後処理のこと。
責任を果たす、責任を持つということは最後の最後までやるべきことをしなければならないということです。
お知らせしてあった演奏会が開けなくなった。これはこちらの一方的な事態で公に案内してあった演奏会を「中止」することになったわけですから、何らかの「お詫びと中止のお知らせ」をしなければなりません。
会員に案内を出す、ホームページでお知らせする、特にホームページにはその演奏会のお知らせ(中止のことではありません)がしてあったのですからなおさらです。

そのことを気にしながら団を退いた私でした。

私が身を退いてから、幾つかの事後処理(ホームページに関することですが)が行われました。
ただ、担当者からホームページのトップページはそのままにしておいて欲しいとの依頼がありました。
「お詫び」「お知らせ」をしたいから、というのがその主旨でした。

私が退いた理由に少し触れることでもありましたから少し心配したのですが、それを信じて待つことにしました。
しかしながら残念です。
やはりトップページは更新がなく、以前のままの状態で「破棄して下さい」とのMailです。
こちらの担当者は唖然としています。
また、ずっと私と一緒に心痛めていた幾人かのメンバーからは落胆の溜息が聞こえました。
言うにはばかるのですが、「やっぱりね」という言葉が出ていました。

残念です!こういったことが近年続きすぎました。

あらためてお詫びを申しあげます。
今月演奏会を予定しておりましたが、諸事情によって開催することができなくなりました。
前掲の『私の提案に基づき団員の方々が幾度か話し合いをしたようです。その結果「閉じる」ことが決定されました。』(演奏会を団員だけでも良いから開催しては、と私から提案していたのですが)の通り「和歌山バッハ・コール」の全てがこれで無くなりました。

ただ、これまで私が書き残した「和歌山バッハ・コール」に関する頁はこれからも残しておくことにします。
貴重な記録だと考えます。
「確かな活動」の刻みです。

第115回('07/11/15)「「和歌山バッハ・コール」の事後処理」この項終わり。


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