第120回('08/08/26)

北海道公演《札幌》8月13日(水)

函館に続いて札幌の演奏会。
函館空港から丘珠空港へ。そして空港からタクシーでホテルに入ります。
昨日の疲れも残っていたのでしょうが、気になるホール「キタラ」で頭の中は一杯です。

大ホールです。地元の皆さんは音響が良いと仰る。
また音響づくりが難しいともおっしゃる。
実際、先に視察させていただいた時も「こりゃ大変」でした。
しかし、こうした設計のホールでもこれから演奏しなければならないわけですし、どこか「挑戦」的な思いが湧いていたことは確か、私の闘争心は燃えます。(笑)

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ステージに組まれたひな壇は扇方にラウンドしていました。
まずそれに倣って並び、歌います。
どうも不味い。
どう見ても反響板らしきものはない、声はどこに向かえばいいのか。
また団員どうしが聴きあうために、どう横や縦の意識をもって声を出せば良いのか。
どうしても想像がつかない。
一度うんと後ろに下がって壁際で歌います。
皆は「歌いやすい」と笑顔で交わします。
しかしこれでは聴衆からは見栄えも悪く、また私からの距離も離れ、遠すぎてコンタクトが取れないようにも思われる。(「米粒合唱団」だとメンバーたちが名付けていましたね)
更に、立ち位置の前後、そして各パートの組み合わせを変えながら幾通りも試してみます。
しかしどれもピンとこない。
少しあきらめかけていた頃、この舞台上に組まれたひな壇のラウンドを直せば何とかなるのでは、との直感。
ラウンドを無視してまっすぐに客席に向かって声を発する。
これが良かったのですね。
何とかこれで声を発する方向性だけは解った感じ。
しかし、どうもまだベストではない。

すっきりしない。
何かが違う。
客席に居た人に聴いて見る。皆バラバラの意見。
座る位置によってどうも響きが変わるらしい。
一階が良いという意見。二階席の前が良い、いや後ろが良い、様々な意見が飛び交います。
時間が過ぎていく中、我々にとって最適ではないけれど「これならばまぁいけるか」との妥協点でリハを終えます。

このホールでCD制作のために録音を、との計画を立てていました。
ホールの響きは決して悪いわけではない(とは想像できます)、しかしその実感が舞台上で確認できずにいる。
不安が、いや困惑が私の中にうごめき始めていました。
どうも私が立つ指揮者の位置がもっとも音響的に悪いのではないか、との思いが沸々と。
これでは団員たちとのコンタクトが的確に取れない。
長年の経験での、響き、タイミングを取るしかない、これが私の結論でした。

もう一つの懸念。
それは会場のマイク、そして録音です。
これはホールのスタッフの方にお任せしていること。
全面的に信じて演奏するしかない。
どんな風に聞こえているのか、それを確認する時間もありません。
とにかくお任せして、信頼してのスタートです。

本番中の指揮台からの感想。
大きなズレやコントロールの不味さも起きず、演奏は進められていったと思います。
しかし、これは合唱団と私の長年の「息」からきたこと、決して体が生理的に反応しての結果ではありません。
私のコントロールの巧(たく)みさ(笑)、合唱団の巧(うま)さ(笑)でしょう。
とにかく舞台上では最善を尽くして必死に音楽に集中していた、というのが実感。
(何度も書いてしまいますが、これまでになく指揮台からのメンバーとのコンタクトは遠く遠く心許ないものでした。今から思えば「良くやったよね」です。この日、プログラムを外して千原英喜「雨ニモマケズ」を録音したのですが、幾つかのフレーズの演奏がこれまでと違っています。これはその瞬間の音響的戸惑いからの結果です。しかし、これもまたライブの面白さ。どんな風に全体として聴こえるか、収録された録音をじっくり聴くのが楽しみです。〔ちょっと思ったのですが、このホールの最上の聞き所、それはまさかマイクの所では・・・そんな戯言を抱いてしまった私、ちょっと心が痛みました〕)



木下兄妹の共演です。
こうした舞台を実現できたことは大きな喜びをです。歴史を振り返って感無量。

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お世話になった横山先生ご夫妻です。
その他多くの方にご協力いただきました。協力なしには果たせなかった演奏会です。
改めてお礼を申し上げます。

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演奏会後でのレセプション。
この時は疲労困憊だったと思います。
戦い疲れて・・・・・・・・
そんな気持ちでした。

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第120回('08/08/26)「北海道公演《札幌》8月13日(水)」この項終わり。


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