第124回('09/07/28)

男声合唱団《風童〜Sylph〜》(かぜわらし)に想う

所詮、ステージで演じる人はエンターテイナー【entertainer】だという方がいます。(私も時々使うことがあります)
言葉の定義は難しいのですが、これはエンターテインメント【entertainment】、「演芸」。「余興」。だとの意味です。
「演芸」は落語・講談・漫才・演劇・舞踊などの大衆的なものを指すことが多いですね。
名を成し、名人と呼ばれる人はこの分野に多いです。
一方、それらと重なる(含む)「芸能」と呼ばれる分野があります。
「演芸」もその中に含みますが、詩歌・音楽・絵画・工芸・書道・生花・茶道などを指すときに用いられます。そこでは名を成した方を「名人」ではなく「芸術家」と呼ばれることがあります。
「名人」と「芸術家」、それは異なっているのでしょうか。
観客側から見た「名人」、観客から見た「芸術家」、これはどのような違いとして名称が変わるのでしょう。
しかし、もし違いがあったとしても「人を楽しませる」・・・それは共通する、と思う私です。 「楽しませる」ことのない「名人」、「芸術家」は有り得ません。
ただ問題は、どう楽しませるか? この点にあるのではないか。
私はここにこだわります。

《興》・・・ただ面白いもの、ただ楽しさを添えるために演じるもの。客寄せ的アトラクションというものがあります。
一般的に言って、これらの楽しみというものは観客側から見た楽しみで、決して「演じる者」の気楽な楽しさではありません。
その楽しさは演じる者の努力の結晶であることです。
磨き抜かれ、洗練され、考え抜かれたものです。
いや、そういうものでなければなりません。
古来、名を成した人たちの文言がそれを伝えています。
努力無く為し得る。それは絵空事です。

「流行」というものがあります。
昔も今もあります。言ってみれば有史前から未来永劫、人間の歴史が続く限りあると思われます。
「流行」によって文化は創られました。それらによって社会へと広まり、そして定着するからです。
しかし、私はその「流行」に乗らないような人生を歩みたいと決心する時期がありました。
「流行」に振り回され、結局は何をも自身の底から満足させるものを残せないと知ったからです。
「人の言動」を言っています。「人が流れていくこと」を言っています。
ファッションや生活様式のことではありません。
「人の流行」「人の心の流れ」です。

永らく、私はこの時代を《「個」を深め、高めることの困難な時代》だと思ってきました。
昨今の悲惨な事件の内容などを持ち出すこともなく、この社会がだんだんと荒廃していることへの「やるせなさ」「哀しさ」を感じています。
その思いは私自身の中に湧いて来ていたものだけでなく、事件に関係した人たちの心の痛み、その底に流れる「やるせなさ」、そして「哀しさ」に対してもです。
みんな「孤独」です。

私が音楽を通じて知ったこと。それは「永遠なるもの」の存在です。
「流行廃り」でなくあらゆる時代を通じて変わらないもの、それを知ったように思います。
「人間が抱く夢」「平和への希求」「人として生きる自由」「希望」。
「命の尊さ」「人としての尊厳」「自身の存在」それを強くするための音楽が沢山あります。
「心を癒し・強く」する音楽があります。
最も悲しい音楽であったり、もっとも楽しい音楽であったり。
悲しくなったときには「最も悲しい音楽」があります。これで哀しさが昇華されていくことがあります。(「生きる慰め・力」を得るのはこういう時でしょう)
楽しい時には「最も楽しい音楽」があります。楽しさは幾倍にもなります。(「生きる喜び」を知るのはこういった時でしょう)
それらの「最も〜」の音楽に嘘があってはなりません。
それらしさで覆い被せた偽物であったはなりません。
そこには本物の音楽だけが必要です。

「個」を深めたいです。
そして高めたいと思っています。
「本物」の音楽を目指したいと望みます。
それには「努力を怠った」演奏では叶えません。
その努力は人の「哀しさ」を知った結果でなくてはなりません。
「人の業」の重さを優しい眼差しで見ることできる「哀しさ」です。
そして書くことに躊躇してしまうのですが、その思いは、努力しなくて栄華を望むモノに対する「怒り」と同調していなければなりません。
断固として「No」を突きつけなくてはなりません。
努力無しの栄華は誇れないからです。 なぜなら、「栄華」は「流行廃り」、永遠なるものではありません。
人々がどの時代でも、どの境遇からでも「生きる希望」に繋がる「永遠なるもの」に臨むことができる。
そういった「個」に深まりたいと切望しています。

最初に戻ります。
「永遠なるもの」を追い求めようとしているか?否か。
その見え方の違いが「名人」と「芸術家」を分けている、そのように私は思います。
「今を生きるか」・・・「未来へに生きるか」・・・この違いと言っていいでしょう。

男声合唱団「風童」を創立しました。
活動は上に書いたものでありたいと思っています。 派手さで聴かせたりしないかもしれません。華やかさで楽しんで頂こうとはしないかもしれません。
しかし派手さを追求する努力はします。華やかさを追求する努力はします。
そして何より、「人の業」を通して「人としての喜び」を500年先、1000年、2000年先にまで伝わるようにとの努力は最大です。
永遠を求める「風」の「童たち」。風に吹かれながら悠々と時代を超えて飛び交うつもりです。

男声合唱団「風童」

第124回('09/07/28)「男声合唱団《風童〜Sylph〜》(かぜわらし)に想う」この項終わり。


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