第129回('10/05/10)

Dr.シュタイン(Dr. Ingeborg Stein)

私がシュッツの「カンツィオーネス・サクレ 1625」のCDをリリースした折り、Dr.シュタインさんにお願いして「緒言」なる一文を頂きました。
とても光栄なことで、文章を寄せて頂いたことはもとよりなのですが、その内容に心が震えました。
まさに私が志していたことがそこに書かれていたからです。
私の意図が通じた、いや通じ合ったという、私の活動を支える大きな勇気を頂くことができたのでした。
ブックレットに掲載の文をここに転載しておきます。

『緒言
時間と空間を超えてハインリッヒ・シュッツの音楽が私たちの前に現れた。

「カンツィオーネス・サクレ」は、「室内」ですなわち私的な空間で用いられる私的な信仰の音楽として1625年ドレスデンで出版され、エッゲンベルグ公ハンス・ウルリヒに献呈されたものだが、今日までその生命力を保ち、日本の人々の所まで達し得たのである。

主宰者当間修一指揮の大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団による曲集の演奏は、本当に、優れた音楽は決して時代遅れにならず、全世界を通じて演奏され、そして全く異なった文化圏の人々の心に訴えるものなのだ、ということの証拠たるにふさわしいものである。

大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団がチューリンゲン州の小都市バート・ケストリッツにあるハインリッヒ・シュッツの生家を訪問したことは、私にとって忘れられない出来事だ。畏敬の念を抱き感激しつつ大阪からの客は、団名にその名を冠した作曲家の生地を踏んだ。その経験のリアルさは私たちの側にもあった。
私達は、極東の若い歌い手達と中央ドイツの音楽文化との出会い、そしてその音楽文化のこの上なく優れた代理人の一人の目撃者となったのだ。
ここ、作曲の生地で、彼に敬意を表して彼の音楽を歌うことが出来たのは、合唱団の欧州演奏旅行のクライマックスにふさわしいものだった。


私達が大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団の演奏会(社団法人中央ドイツ・バロック音楽常設評議会によるチューリンゲン州への招待で実現した)で経験したのと同じ非常な熱意、ハイリッヒ・シュッツの精神と音楽語法への深い理解、それが『カンツィオーネス・サクレ』の新録音から伝わって来る。

人とその神との「音楽に移された」対話による当惑、生き生きとした息吹が録音の中で脈打ち流れている。驚くほど明瞭に歌詞のテキストを聴き取れることがこの録音では際立っており、イタリアの新様式という衣を採り上げた17世紀の「ドイツの光」の音楽語法に感性鋭く入り込んでゆく。シュッツが意図していた、不協和音の扱いと言葉における感情の強調という改革において、響きの上での解釈が十分になされ、さらに音楽は常に言葉と結び付けられて明瞭に細部まで組み立てられている。


ここに全世界の人々に再び届ける録音が成功を収めた。
それは一つの解釈、熟考を促し、自分自身の態度決定、信仰告白を表明し、そして同時に言葉の最も深い意味で美しいものである。
この録音に多くの人々が感激せんことを!

Dr.インゲボルグ・シュタイン
作曲家の生家内の研究所所長及び記念館館長
ハインリッヒ・シュッツ=ハウス、
バート・ケストリッツ/チューリンゲン州』

Dr.シュタイン先生が本を出版され、その本を私に贈って下さっていました。
読む度にその内容を是非日本の音楽ファンにも紹介したいと思っていたのですが、日毎の仕事に追われ、なかなか翻訳まで手が回りませんでした。
しかし、ここに来て私の芯なるところで出版を促す声が聞こえています。
生家について、またその歴史は歴史を刻む貴重な資料です。
《ムジカーリッシェ・エクセークヴィエン》(《鎮魂曲》)作品7。SWV279 - 281。についての記事は演奏者にとって大きな刺激と示唆とを与えることでしょう。
またその曲の成立の経緯についての資料は貴重です。

出版に向けて具体的に相談したく、お住まいのドイツはワイマールに訪れることにしました。
下の写真は翻訳をしてくれることになっている三木麻美さんとの打ち合わせ中の写真です。
いよいよ具体的に動くことになりました。
まずはその報告です。

Dr.シュタイン1

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第129回('10/05/10)「Dr.シュタイン(Dr. Ingeborg Stein)」この項終わり。


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