第92回('04/1/29)

「三味線音楽」での「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」

「大阪コレギウム・ムジクム」が発行するメーリングリストに私が執筆する「「一意直到」〜当間です〜」があります。
今回重複することになってしまうのですが、その文に補足を加えて以下に掲載します。
いずみホールで行われた、日本の響きシリーズ 〜今藤政太郎企画による「三味線音楽の世界」第3回に、「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」のメンバー10人が参加した演奏会の感想です。

私にとっては印象的な体験でした。
その思いはきっと今後の演奏活動においても影響を及ぼすのではないかと思っています。その意味においてもこの演奏会、とても良い体験になりました。

以下がメーリングリスト上での「一意直到」です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 一意直到 〜当間です〜

  私と明子さんが座った席の一つ隣りに、場違い風の若者が(高校生でしょうか?)二人ドカドカ入ってきて座りました。
ごう いずみホールの「三味線音楽の世界」での話です。

田中澄江 作 「建礼門院《徳子》」への出演依頼があって「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」のメンバー10人が参加した演奏。

「めちゃ 楽しみやな〜。おれこんなん好きやねん。どんなん始まんのかなぁ」とは二人の内の一人。
一曲目の長唄「鷺娘(さぎむすめ)」はさすがおとなしかったようですが(一人は熟睡してました(笑))、休憩後に始まった「建礼門院《徳子》」ではしっかり聴いている風なんです。
(いろいろなスタイル〔長唄、義太夫の節回し、笛、鼓、太鼓、琴、笙、囃子、そしてコーラス〕の競演が気に入ったのでしょう。)

そして演奏が終わったとたん、「ヨォ〜!!」「オオ〜!!」と叫んで(しかし、直ぐに止めました。周りの雰囲気を察したんですね。〔残念〕)二人とも大拍手。
「もう、このそれぞれのコラボレーションがたまらんなぁ!!」と宣いはりました。
そして次に発した言葉が「おいら若者にも十分わかるわぁーーーーー」。

嬉しかったですね。
その一端をメンバーが担ったのですから。
「和」と「洋」の競演でした。和楽器、邦楽の声、それぞれに素晴らしい響きでした。
「本物」の音ってやはり凄いです。そしてコーラスの「洋」の響きはそれらの中で際だったんですね。
作曲された今藤政太郎さんが描かれた意図が見事に達成されたのではないかとの思いです。(事前にその意図をお聴きしておりました)

メンバーには良い経験になりましたね。五線ではない楽譜や記号に眼を白黒させての譜読み、節回し。
そして短い練習期間での仕上げ、何もかもが緊張の連続だったと聞いています。
まだまだやり残したこともあったかもしれませんが、客席で聴く限り私は十分に全体を楽しめました。
その時、きっと私の心境はあの若者たちと同じだったかもしれません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (以上、転載終わり)

その高校生らしき若者は開演5分前にバタバタにぎやかに話しながら入ってきました。
実はそれまでにちょっと気分を害してしまっていた事があったものですから、彼らの登場は私にとって決して平穏なものではありませんでした。
「お前たちもか!」という思いだったんですね。
その前の気分を害したこととは、私たちが座っていた前の席。
オバサンたちの大きくて遠慮のないお喋りだったんですね。
演奏前は勿論、演奏中も話は止みません。その内容といい、声の大きさといい、遠慮の無さといい、もう少しで私が注意するところ寸前でした。(実はそのオバサンたちの前に座っていた男性が眼光鋭く注意されたので私の出番がなくなりましたが)
会場は着物姿のご婦人たちが沢山いらっしゃってました。
華やかさもあり、随分私たちの演奏会の雰囲気とは違うなぁとその落ち着いた雰囲気に感心したりしていたのですが・・・・・。
その若者には悪かったですね。しかしその若者、言動は一見<がさつ>なのですが、いったん演奏が始まるとそれはそれは素晴らしい聴衆でした。確かなジェントルマンでした。(一人は一曲目で上手に熟睡していましたし)

「建礼門院《徳子》」を聴いた後の
「おいら若者にも十分わかるわぁーーーーー」との言葉をのたまった彼らは隣りに居た明子さんに語りかけたそうにしていたらしく、興奮さめやらぬ表情で会話が始まったのでした。
「おもしろかった?」
「ウンウン、良かったですよね、めっちゃおもしろかった」
「すごく良かった?」
「ウンウン」
その眼は真剣に、そしてしっかりと明子さんの眼を見ていたそうです。

彼らのもう一つの言葉「もう、このそれぞれのコラボレーションがたまらんなぁ!!」は実に卓見です。
この感性スゴイですね。
彼らが発した飾りっ気なしの言葉に真実を私は感じます。
彼らは私たちが<関係者>であることはつゆ知らずだったでしょう。
(知ってたら何といったか、想像するのは楽しいですね・・・)

大勢の聴衆の中、この二人だけの反応を大きく捉えすぎかもしれないのですが、偶然近くに居あわせることの因縁性も併せ、私と同じ感性を見いだせたようでとても嬉しかったのでした。
専門的すぎたり、仲間内であったり、周りを気にしすぎたり、とかくある領域に携わっている人たちの陥りやすいものが彼らには感じられません。
彼らが次代の頼もしい「感性の伝え手、担い手」になるかもしれないのですね。
そう思うととても気分が高揚してくるのでした。

邦楽の音は「言葉」以前の、あるいは「言葉」にならない「音」の発露、それが魅力です。
言葉そのものや、言葉によって理解される「感性」だけではないのですね。
言葉を超える魂の震え、それが真髄なのではないかと感じました。
三味線の何ときらびやかなこと。
琴の音の何と豊かなふくらみのあること。
義太夫三味線のあの<しぶさ>にあの<凄み>。
囃子は自然、あるいはそれを突き破るものとして真に迫ります。
それらの音に圧倒される一夜でした。

「和」と「洋」の交流。
これからも互いに触発されながら、創作としての新しい作品が生まれ出てくることが望まれるでしょう。
その推進の一助となる、それも私の大事な仕事の一つなのだと思わずにはいられない夜となりました。

第92回('04/1/29)「「三味線音楽」での「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」」この項終わり。


【戻る】