第93回('04/4/13)

「マイヌング」を何故書くか

Webの世界は素晴らしい。
一瞬にして世界を巡り、あらゆる情報に接することができます。
個人的な意見や情報を世界に発信するのですからこんな魅力的なことはありません。
こうして私も、団体の情報と共に私個人の意見を発信しています。

ささやかながら個人の意見をこの「マイヌング」で書いている理由、それは私の「考え」「信条」「意見」といったものをハッキリと示しておきたいという気持の強さです。

私の一番恐れること、それは人として<一貫しない言動>をとること。
そして、人により、状況によって<我が保身>のためだけにうごめくこと。
人は確かに自分を守るために生きます。しかし、自分のことだけでなく人に思いを馳せたいと私は思うのです。環境や信条の違い、相容れないものではないかと思えるようなものや事に対してもできる限り想像力を働かせたいと思うのですね。
「人」を通して「我」を知りたいという気持がとても強いのだと思います。
しかし、その「人」の言動が「我の欲」「我の世界」だけのものであるならば、それを私は<私を知る座標>とはできません。
人が私を見た場合もそうだと思うのです。

自分自身の行動が一貫しているものであるということ、また説明がつくということ、そしてなによりも私自身の心底からの言動、納得できることであったということを常に確認したいと思っています。
何を考えての行動か、どういう思いの基での言動かを確認できる「場」、それが必要なのではないかと思いました。

「マイヌング」を何故書くか?

主宰者として、指揮者として、人前に立つという責任を担う者としての「私」を明らかにすべきだとの思いからです。
「批判する」「訴える」「主張」といった「立ち向かう、攻撃」の性格とは少し違うかもしれません。
私を知っていただく、それが主旨です。

Webの世界は素晴らしい。
しかし、発信する側の責任は重いと思っています。
当間という「私」をいつでも確認できる「場」、それを「マイヌング」としたい、そう願っています。

第93回('04/4/13)「「マイヌング」を何故書くか」この項終わり。


【戻る】