第3回

「アンサンブルの問題点 Part2」

現在、この「マイヌング」では、「巧いアンサンブル」を達成するための条件をメンタルな部分の方向から書きつづっています。
「巧いアンサンブル」を志すことは音楽分野の問題だけではありません。
日々の社会生活の中でも重要な問題提起となるものです。
「アンサンブル」のできる人、それは社会生活の中でも人との関係作りの円滑化と正常化を手にする術を知っている人、ということになります。
私が合唱団員に言い続けていることの一つは、「音楽は現代を反映し、生活と結びつけることに意義がある」ということです。生活観からかけ離れた、あるいは無視し、逃げている音楽など私には興味はありません。

さて本題ですね。
「巧いアンサンブル」が達成できる鍵、それは「自己主張」と「協調性」にあります。
私は音楽はメッセージだと思っています。
そしてメッセージを通じてコミュニケートを図りたいと思っています。
「コミュニケーション」にとって大事なこと、それは互いに「サービス」することではないか、とこの頃考えるようになりました。
現場に立っていて思うことは、我々はつくづくサービス精神に欠ける特性を持った民族だということです。
サービスをするには「自己」という「個」の確立が必要です。そうでなければなりたちません。そしてその目的は、「自己」も含めて皆が楽しく「共存」でき、「連帯」する喜びを感じ合うということにあるでしょう。
「協調性」ばかりでは内容の質の向上は望めません(日本社会ではこれは最優先しますが)。「主張」ばかりだと過度の緊張が強いられますし、精神が索漠としてきます。
「自己主張」と「協調性」を併せ持つ、これが「巧いアンサンブル」を手に入れるための条件ですし、それをつなぎ得るものが「サービス心(こころ)」だと思っています。

合唱団員のタイプは二つに分かれます。
一つは、こっそり、ひっそりと音楽を楽しもうとする人。
これがまた皮肉なことに、「音楽」は一人で充分楽しめるのですね。自分の世界に浸れるのですね。これがたまらない魅力です。
もう一つは、とにかく自分を出し、主張することだけに熱心な人。(このタイプが結構多いのですね。一般的な合唱のイメージはこのタイプの人たちによっているのではないでしょうか)
この二つのタイプは水と油です。合うわけがありません。
必要なのは自分以外に関心を持つこと、そして積極的に自分の枠を取り外し、交流することです。
<人の言葉にどれだけ耳を傾けられるか>これがポイントです。
話を聞くのも、声を聴くのも同じです。
人の言葉を正しく聴ける人は人の歌も正しく聴くことができ、合わせることもできるということです。
言葉を聞くことは簡単だと人は思っています。しかしこれは間違いです。
聞いている、理解できている、解るということはそれによって<自分が変ることができるかどうか>ということです。
ただ聞いていればできてしまう、というものではないことは日常生活の中で誰もが体験することです。
<人の言葉を聴く>これは至難の業なのです。体験的に言えば、これを阻んでいる原因に、「知識が足りない」ということは省いて、結構「頑固」だということが有るかも知れません。自分に固執しないで謙虚に聞いてみるということが必要になってきます。
互いが「自己」という「個」を大事にしながら、協同して行動を共にする目的を持つ。このことのためには「謙虚さ」が必要なのです。

「謙虚」という言葉で、前回の「プロ」か「アマ」かの時に書き忘れていたことを思い出しました。
「アマチュア」の良いところは「謙虚さ」に有ったはずです。
それがいつ頃からか、「開き直り」になっているのではないかと思うことが最近よくあります。
「プロ」が情けない、ということもあるのかもしれませんが、上に書いたような「自己主張」の強い人達の言動がそう思わせている原因かもしれません。
「アマ」も「プロ」も「謙虚さ」をもって最高の演奏を目指す、これが最良ですね。
しかしよく見かけるのは、「アマチュア」の人達による<自分本位にしたい><かってきままな部分を残しておきたい><結果が悪くてもいいわけができる>といったことです。
「プロ」と称する人達も、練習もしないで言い訳や開き直るやからもいます。
いい加減な演奏もあります。でもこれは批判を受けるのです。
「アマチュア」では批判の対象にはなり得ません。そこが違うことかもしれません。
いずれにせよ、「プロ」も「アマ」も、そして全ての人の集まるところでは「自己主張」と「協調性」の難しさがどっしりと横たわっています。
合唱団の中のアンサンブルだけではなく、様々な枠組みとのアンサンブルも「巧く」かもし出したいものです。