第5回

CRITIQUE(1)

さっそく批評文が目に飛び込んできました。
それも対照的な2つの批評文です。
最初に取り上げるのは7月24日(水)の朝日新聞夕刊に掲載されたもの。
実は、この批評を書かれた方は著名なH.R先生。最初に取り上げようとは思いもよらなかったのですが、私がこだわっている問題にも触れられておられたものですから取り上げることにしました。
批評文を抜粋します。

システィーナ礼拝堂合唱団[自由な飛翔に「うたう」原点]
戦後問もなくイタリアから(コーロ・ポリフォニコ)という声楽アンサンブルの来日公演があった。・・・・・私にとって忘れようもないイタリア・ポリフォニー声楽曲への"耳"をひらいてくれたのだった。
今回(システィーナ礼拝堂合唱団)初来日(で)四十数年も昔のこれらの音の記憶がよみがえって来たのにおどろかされた。
それまで合唱といえば、一糸乱れずのアンサンブル、崩れようのないほど練り上げられたフレーズ、加えてピッチの厳正、一音たりともアイマイさを残さぬ発音等、一滴の水をも漏らさじの合唱作りを目標に、きびしいトレーニングに励んでいた日本の合唱界にとって、こんなにも各人が音楽を楽しみながらのびのびと歌い、多少のアインザッツの乱れなど気にせず、音楽の流れのほうを重視する合唱があったかというおもいが、あの時の人々の胸にあったはずである。・・・・・・・一音符たりと違えじと、まなじりを決し、肩をいからせて歌ってきた日本流ポリフォニー唱法などと、音楽の根本のありようからして違っている。この少年たちの歌には、まさに"人間のうたう"という行為の原点があり、・・・・・・
と続きます。

さて、問題は?
まず、文章の曖昧さが気になります。すぐに内容が把握できません。私の読解能力が悪いからでしょうか。全体の3分の1にも及ぶ書き始めの文章は四十数年前の印象。現在のことかと錯覚しそうな書き始めです。しかも後に出てくる「一音符たりと違えじと、まなじりを決し、肩をいからせて歌ってきた日本流ポリフォニー唱法などと、音楽の根本のありようからして違っている。」とは現在がそうだということなのか、それとも40年前のことなのか。文脈からいけば現在のことを仰っていると思うのですが。でもその根拠が記されていません。説明もなく決めつけられ、前提されたこととして書かれています。
この批評の観点はシスティーナ礼拝堂合唱団についての感想、それも好意的な見方によっています。H.R先生は四十数年前の「多少のアインザッツの乱れなど気にせず、音楽の流れを重視する合唱」という思いを今夕のシスティーナ礼拝堂合唱団の演奏の中に見出されたのでしょう。彼らたちの自由さ、自然さを称えます。
私の頭の中ではすでに時空が交差して理解不能状態です。
しかし、その頭を絞って内容についても触れておくことにしましょう。
H.R先生が言われるように「音楽する自由な心」が大切ということは当然のこと。しかし、そのために「一糸乱れずのアンサンブル、崩れようのないほど練り上げられたフレーズ、加えてピッチの厳正、一音たりともアイマイさを残さぬ発音等、一滴の水をも漏らさじの合唱作り」がいけないと捉えられてしまうような表現はおかしい。また我が国でこれを達成した合唱団があったとも思えません。(一度そういったものを経験したのならばともかくも)四十数年前もそうなのですから合わせると約一世紀におよんで「音楽の流れを重視する合唱」が行えなかったいうことになります。
しかし、これは音楽性をベースとした徹底した訓練、練習が行われてはいなかっただけだというのが私の認識です。
ましてやH.R先生が現在思っていらっしゃるらしい「一音符たりと違えじと、まなじりを決し、肩をいからせて歌ってきた日本流ポリフォニー唱法」など有り得ません。そこまで徹底もできていなかったし、個々勝手気ままに歌ってきただけのことなのですから。長きにわたって指導する側が本末転倒し、まさに”人間のうたう”という行為の原点が欠けていただけの話。
批評文の後半、それは歌われた曲について書かれているのですが、「太陽の国の少年たち、青年たちが持ち合わせた声帯はさすがイタリアならではのもの。」と仰りたかったようす。
長く声楽教育に携わってこられたH.R先生ならではのお言葉でした。

「批評」は「時評」でもあって欲しいと願う私にとって、個人的な感想と報告に留まらない「批評」が本当に読みたいと思っています。

長くなってしまいました。
もう一つの「批評文」は8月1日に掲載します。