第7回

「宗教音楽」

「シュッツ合唱団」のレパートリーは「キリスト教音楽」が中心になっています。
「アンサンブル・シュッツ」は言葉の問題が無いぶん宗教色は薄いのですが、合唱団のレパートリーと重なる場合が多いですからやはり関係が深いということになります。
文化庁による「宗教年鑑」(1994年)での我が国の宗教分布は以下のようになっています。

1.神道系_53.2%
2.仏教系_40.9%
3.キリスト教系_0.7%
4.諸教_5.2%

この数字、感覚的に納得しえるものですね。
1996年の今年になっても、大きくこの数字が変動しているとは思えません。
私と私の仲間は、この分布をなす国でキリスト教音楽の演奏をしていることになります。
私たちがレパートリーとする「宗教音楽」、それは我が国での信者数が全人口の1%にも満たないという「キリスト教音楽」の分野なのですね。

「クラシック」は西洋文明を礎として生まれました。「西洋音楽」を演奏することは、その根底をなしている「キリスト教」に無関心ではいられません。
シュッツは勿論の事、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、そしてその他あらゆる西洋諸国の「クラシックの作曲家」は、どんな形であれ「キリスト教」の影響下にあって活動を営んだ人々です。
「ヨーロッパ文明」の核をなすものが「キリスト教」だと言っても過言ではないでしょう。その中から、科学がそして芸術が生まれたのです。

私が音楽を志した大きな要因は「バッハ」との出会いでした。
それまで「キリスト教」と無縁に近かった私がその出会いによって、「キリスト教」、「西洋文化」への関心を深め、ヨーロッパ文明の根底を探る営みへと突き進むことになります。
振り返って見るに、この選択とプロセスに後悔はありません。
それどころか、日本文化にどっぷりと浸かっていては見られなかった、あるいは感じられなかった多くのものを知ることができた幸運にただただ感謝するばかりです。

西洋文化と日本文化の違いは想像以上に距離感があるものです。
その距離を狭めるにはその差異を的確に把握しなければなりません。
広げて、西洋だけでなく地球上にある様々な文化に対して考える場合でも、私たちはその差異を知るノウハウを持つことが必要です。

芸術は人間同士をつなぐ架け橋だと信じます。
人間としての真の姿を探り、掘り起こす、それが芸術の本質です。
真の姿を見つめ合い、理解し合い、認め合う、人間が求めなければならないのは真にこの事柄だと思っています。

人間の本質を知りたい。人としての生き方を考えたい。この地球上にある全ての命あるものの息吹を感じたい。自然の鼓動を感じたい。宇宙の法則を感じたい。
この想いが私の全てです。