第10回

もっとも大切なもの

つくづく考え込んでしまいます。
私が音楽活動する意味は何だったのだろうと。
演奏会にこぎ着けるまでの行程は幾つかマニュアル化することができます。
コレギウムのように制作、マネジメント、演奏と、トータルに関わって活動しようとすれば仕事の量が必然的に増えます。しかし統一のとれた納得のいく結果が待っていることも確かです。
今ではスタッフも充実し(一人一人の能力と、仕事の連携が素晴らしいです)、私の仕事も以前に比べれば飛躍的に整理されてきました。
(創造性が必要な事柄以外では、マニュアル化することによって統一的な仕事が可能です)
当たり前の事ですが、「音楽作りに専念する」これが私の仕事です。
「合唱講座」第3回目に書きました、<音楽作りのポイント>の項目を勉強するだけでも時間が足りません。
しかし現実ではそれだけで音楽が充実したものになるほど単純ではありません。
それだからこそ、この「マイヌング」のように<書きたい>ということになるのですね。
一番頭を痛めるのは同業の「演奏家」、そして「マネジメント」「ホールスタッフ」「評論家」といった「演奏会にたずさわる人々」です。
この方達との<交渉>、<お付き合い>が一番骨が折れ、悩みの種となります。
どの分野でも同じでしょうが、狭い音楽界のこと、問題の根深さは他の類ではありません。
<良いものを作りたい><創造的に>との願いは、なかなかスムーズに運ぶものではありません。
時折、<現実の問題>に悩まされて止まってしまうことがあります。
こんな時、ふと「原点」に戻ってみることにします。
それは<私が音楽を始めたきっかけ、動機>なんかではありません。
<人間としての行動、行い>として認識した時点、に立ち返るのです。

私は<育て>られました。そして私は<育てる>ために生かされているのではないかと考えています。
自分以外の、この世の全てのものによって私は<時を過ごす>ことができました。
そして私の存在は、自分以外の人々の<時を経過>の一端を担っているのではないか、と考えるのです。
私はまだ、人間の営みとしての「芸術」を確信しています。
”人間性の追求”である「芸術」を確信します。
私の生き方は、私の「趣味」「嗜好」に支配されてはなりません。

「なぜ演奏するのか」「なぜ舞台裏の仕事をするのか」「なぜコンサートを主催するのか」「なぜ批評するのか」
これらは”人間性”の追求と確認のため、そして未来への連なりのために行われているものだと思いたいのです。
しかし現実は「足を引っ張る」にしか見えないことが多いです。
私は私自身の<原点>に立ち返って戒めましょう。
「人を生かす」仕事をしよう。「人を未来のために育てる」仕事をしよう、と。