第21回('97/3/29)

チョット言いにくい話なんですが・・・・・・(第一話)

人間ってホントにいいですね。
色々な人がいることに気づかされ、それまで経験したことのないような感動を味わうことがよくあります。
「こんな人だろうなぁ・・・」と思っていた人が想像と全く違っていたり、気にもかけなかったような人が実はとっても素敵な人だったりします。
話し方の素敵な人、声の素敵な人、話の組立方に感心する人、手先の器用な人、頭の回転が速く明晰な人、失敗してもどうしても憎めない人、心の細やかな人、優しい人、・・・・・・それはそれは素敵な人がイッパイいます。
様々な個性のぶつかりも、良く見れば人間の奥深さを示しているようで楽しいものに感じます。

音楽好きな人も素敵な人がいっぱいです。
一般的にはチョット変わっている人が多いかも知れませんが・・・・・。特にクラシック愛好家には。
でも私が尊敬できる人は結構この中にいる人たちが多いです。

実は、自称<愛好家>と名乗る人が楽器や歌をやっている場合が、「困ったなぁ」と感想を持ってしまうことが多いんです。
音楽を聴き、楽しみ、考えている人たちの意見には、私にとってそれがたとえ対立したものであったとしてもその内容には聞くべきものが多くあることを感じます。
しかし、実際に演奏する機会を得ている人たち、この人たちのことを<アマチュア音楽家>と称するのですが、この方達の発言に、時々「疲れるなぁ」と思わせられることがあります。
誤解があってはいけませんね。
私は<アマチュア音楽家>を否定したり、誹謗したりしているわけでは決してありません。
その中に居ることによって陥りやすくなってしまう問題点があることを何とか訴えたいと思っているのです。
かつては私もその中の一人だったという自戒の念を込めていうのです。

「与える側」と「与えられる側」とは決して同一ではありません。
「与える側」の責任は「与えられる側」の比ではありません。
同じように考えてはいけないのです。
「与えられる側」にいた人が「与える側」に一歩でも足を踏み入れたのなら、その行いや発言には充分配慮しなければなりません。
今まで「自由な無責任の楽しみ」を味わっていた人が、「与える」楽しみも得たわけです。行動の範囲も楽しみ方も更に大きく広がったわけです。
しかし意識がそれまでと変わらなく同じであるのはおかしい。
いつまでも「与えられている側」の意識ではおかしいのです。

人というのは<自分勝手>なものです。<身勝手>なものです。
自分中心に考えるものですね。
この身勝手さがおかしくも面白くも人間の面白さにアクセントを付けていて、一層人間としての素晴らしさを感じさせるものになっています。
しかし、時折遭遇する一部の<アマチュア音楽家>の身勝手さにはそこに<真面目さ>が加わります。
これはチョット間違うとですね、狡猾さ・姑息ということに繋がってしまうのです。

次回にその具体的な例を書いてみましょうか。
この話題、チョット書きにくいんですが、日頃いろいろと遭遇してしまっている問題ですから心して書くことにします。

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