第25回('97/5/20)

チョット言いにくい話なんですが・・・・(第五話)

五回に分けて書いてきたこの「チョット言いにくい話なんですが・・・」も今回でいったん区切りましょう。

最後の話は、「アマチュア」の奏者や歌い手側のことではなく、それを指導する人たちの話をします。
「指導する人たち」とは指揮者やトレーナーのことですね。
指揮者やトレーナーと奏者や歌い手との関係といってもいいでしょう。
この両者が上手くかみ合い、建設的になっていれば問題ないのですが、一応この関係にも触れておきたかったんです。

指揮者やトレーナーが「アマチュア」、そして対するのも「アマチュア」といった場合。
これはあまり問題が起きないですね。しかし時には団内で、指導者に対しての人望や指導力が「ある・ない」でもめたりすることがあるかもしれませんが、所詮は仲間から出てきた人なのですから、解決がつくというものです。
「アマチュア」の指導者はテクニック上のノウハウを「プロ」からの個人的指導や講習会などで身に付け、そして団員たちと共に「音楽する」んですよね。
この取り合わせの演奏会(私は発表会と呼ぶんですが)は純粋に「音楽することの楽しみ」となります。そしてあくまでも仲間内のことですね。それで充分。演奏し終えた時の互いに苦労した末の充実感は「プロ」にはそうあるものではありません。
まあ、もし問題が起こるとすれば、その指導者なりトレーナーが自分の領域を忘れて「プロ」の実力と権威を持ったと錯覚したときでしょう。

ここまで書いてきて、「プロ」と書く度に「理想的なプロ」はなかなか居ないなあと思ってしまいます。自戒の念を込めて言うのですが、業にも優れ、人間的にも優れたバランスの取れた「プロ」は少ないですね。

さて、次の取り合わせ。
指揮者やトレーナーが「プロ」、そして対するのが「アマチュア」といった場合です。
今回はこの場合の問題点を書くのが主旨でした。
「プロ」が「アマチュア」と共演する。これって「アマチュア」からすれば一層の音楽的充実感を得るのが目的。また「プロ」側は「アマチュア」の期待に応えるために自分の芸術や音楽を伝えるのを目的とします。層が広がること、そして本物を”感じ”てもらえることを願って共演するのですね。その意味では出演料なんか問題ではないですね。
ところが、「アマチュア」を利用しているのではないかと思わせるような例にぶつかることがあるんですよ。
いつ頃からでしょうか?よくあるのはオーケストラと「共演させてあげるから出演しませんか?」というお誘い。
または、「寄せ集め」の合唱団を組織し、練習もそこそこにして出演なんていうのもありますね。
もちろん出演料はナシに等しく、ひどいときにはチケットのノルマがあるというものです。(これらは「プロ」の出演料や事務所等の収入になっていますね)
これなど、企画した事務所だけの責任ではなく、それを承知で引き受けている指揮者やオーケストラ側にも問題がありますよね。

「充実した演奏」にするためには「練習」が必要です。良い演奏をするために「プロ」は毎日練習するんですよ。(と書きながら、練習しないプロもいるなあ、という思いが頭を過ぎっています)「プロ」でもスケジュールが詰まっていて充分な練習時間がとれないとの嘆きはありますが、「練習量」は確かにその演奏にあらわれるものです。
「アマチュア」は練習をしたくてもできない状態にあるんですね。
「プロ」が前に立つ事によって、普段より練習量が増えたり、その意欲が増すことがあってたとしてもやはり一定の限界があるのが「アマチュア」なんです。
それが判っているのに、「プロ」が「アマチュア」を集めて演奏会をするのはやっぱり問題だと私は思っているんですよ。

そしてですね。
そういう真実の事を教えてもらわずに、「プロ」にいわゆる”乗せられて”せっせとお誘いがかかった演奏会に出演し、それを”ステータス”とし、自分は特別な人間だと思ってしまっている「アマチュア」の人たちが結構いるんですね。
これは合唱に多いです。
「アマチュア」の特権である”自由”が、良くないかたちでもって表れるケースだと私は思っています。
そしてこれがさらに進み、一つの所だけに腰を落ちつけず、幾つかの合唱団を掛け持ちし、いわゆるビッグな名前とステージに飛び廻る人たちが現れます。
ビッグな名前と曲目(「”モツレク”歌うから乗りませんか」とか「”メサイヤ”するから乗りませんか」というあの誘いです)がミソですね。

声の大きさや譜読みに関しては少しできたとしても、声を合わせるとか、アンサンブル能力といったものは時間のかかるものですし、特別の練習法があるんですね。寄せ集めでは難しいですよ。
しかしそういった人は隣の声なんかお構いなしに大声で歌って自己満足。
これでは満足のいく演奏にはならないと判っているのが本物の「プロ」なんですが、しかしどうしてなんですかね。
<歌いたいアマチュア・出演したいアマチュア>を自分のために利用しているだけじゃないかと勘ぐりたくもなるんです。

様々な主旨の演奏会があります。「プロ」も時には妥協しなければならない場合だって出てくるでしょう。「アマチュア」のニーズに応えなければならない場合だってあるでしょう。
私も「アマチュア」の方々とするときは、お互いの大きな喜びを得るために幾つかの妥協をしてきました。
しかしその<妥協>ばかりが持続するのは「プロ」として変です。
より良い演奏をするために、理想とする演奏を志すために、常に積み重ねを続けるのが「プロ」だと思うんです。
「プロ」は自分の信念に妥協してはいけませんね。そのための音楽三昧であるわけですから。

しかし「アマチュア」は違うんですよ。
「アマチュア」は本業が他にあり、音楽は余技。
人前で演奏できるようになるためには、演奏する曲目に多くの練習時間を割かなければなりませんよね。
一曲に半年かけたり、一年間練習することもしばしばです。
「それでいいじゃないですか。」・・・と、私はこの「チョット言いにくい話なんですが・・・・」で言いたかったんです。
音楽を愛する心を大事にし、誰の束縛無く自由に、そして納得いくまで練習し、演奏会にこぎ着ける。そして結果としての大きな喜び。これって最高です!
団の掛け持ちをしていて隣の人と十分にハモルことができるでしょうか。
「アマチュア」と銘打たない演奏会に乗ることは、「アマチュア」としても「プロ」としてもその責任を逃れるという行為だと思うんです。

どうか「アマチュア音楽家」を満喫して下さい、というのが「アマチュア音楽家」への私の思いです。
<プロ>からの無責任な誘いに乗らず、「アマチュア音楽」を大事にし、楽しんで下さい!
どうか「アマチュア」を逸脱なさいませんように。
踏み込めば「アマチュア」ではないんです。「アマチュア」の顔をしたまま領域に踏み込んではいけないということですよね。

「アマチュア」が栄える社会環境。これこそがもっとも成熟した文化だと思うんです。
そして成熟した文化があってはじめて本物の「プロ」が生まれるんだと思っています。
「アマチュア」と「プロ」、いい関係になりたいものです。

第25回「チョット言いにくい話なんですが・・・・(第五話)」終わり。このシリーズちょっとお休みです。