第30回('97/11/6)

「音楽雑誌」

音楽雑誌を読まなくなって久しい。
いつ頃からか読まなくなったんです。
それまでは発行日を心待ちにしていて、どのページも隅から隅まで読んだものだったのに。
それも1誌だけでなく、4〜5誌は読んでいたんですね。

きっかけはやはり記事内容
専門的な研究、作曲家及び作品の紹介や演奏会案内、それにエッセイなどは読みごたえがあり又、情報を得るのにも重宝してました。
しかし、読まなくなったんです。
その理由は記事内容と現実社会の接点が見つからないこと。そしてそれはどんどん一般社会から離れていっていると感じたからなんです。

なかでも、演奏評はいつもしっくりこない。
演奏の中身が見えてこないうえに、現実が反映されずどこかなれ合い的。内輪的。
東京中心も気に入らない。
決定的だったのは、それらの記事を読んで、世の中全てが記事のようなことが行われていると錯覚している人と出会ったとき。
その時一度止めてみようと決心したんです。

自分が特殊なクラシック音楽界にいることで一般的な社会から離れていっているような気がして、音楽と社会の捉え方を再考しなければ、と思ったんです。音楽以外の世界を知りたくなったんですね。
それまでも社会問題に関して関心が薄かったわけではありませんが、それ以来より意識が高くなったと思います。 音楽雑誌の代わりに歴史、科学、思想などの本がそれまで以上に本棚に並びました。

音楽界を少し距離をおいて見る。
これは想像以上の発見。
音楽の今の姿、そして可能性が見えてくるんです。
少しクラシック音楽界の情報には疎くなってはいましたが、音楽の専門的な分野の著書には良く眼を通していましたね。
それから、既に10年。

昨日久しぶりに音楽雑誌を読んでみたんです。
相変わらずの記事でした。

しかし、これからはまた隅から隅まで眼を通すことにしたんです。
私の振り子は「現代社会」に振り切っていました。
少し修正しましょう。
それがよりよいバランスを取るということかもしれません。

出版メディアというものはなかなか厄介なものです。
発行者や記事を書いている方々のご苦労は大したものだと思うのですが、記事の取り上げ方、内容の視座にはやはり限界があるものですね。
結局は読み手の問題だということでしょう。
心して読むことにしましょう。

それにしても、
私が読んでいた時代と比べて、発行部数は伸びているのでしょうか。
その数字が知りたいですね。
次回には幾つかの音楽雑誌の書評をしてみましょう。

第30回「音楽雑誌」この項終わり。