第41回('98/10/6)

二大「レクイエム」の<演奏にあたって>

以下の記事は二大「レクイエム」の演奏会当日のプログラムに掲載されるものです。

当日に先立ってこの「マイヌング」に掲載します。

「レクイエム」事情

「レクイエム」=「死者のためのミサ」とはキリスト教の典礼で行われる一形式です。
「死者のためのミサ」が「レクイエム」という通称で呼ばれるようになったのは、何度もRequiem <安息を>という言葉が繰り返されるからです。
音楽史上多くの作曲家によって「死者のためのミサ」が作曲されました。
第二ヴァチカン公会議(1962年-1965年)以降、典礼としの「死者のためのミサ」は、中世的、個人的、主観的色彩の濃い(強い)ということで廃止されましたが、典礼にとらわれない純音楽的な(非典礼的な)「レクイエム」がその後作曲されるようになっています。
教理的に見て「死者のためのミサ」は、 煉獄でさいなまれている死者のために罪・責め苦を軽減されるように祈るものです。
一般に理解されている「死者の魂を鎮める」という意味は薄いのですが、「鎮魂曲」と訳されているせいか我が国では本来的な意味が薄らいでいます。(とはいえ、個別に見れば「魂の平安」を祈ることを主眼としている曲もあります。
今回演奏するフォーレなどはその代表的なもの)

フォーレの「レクイエム」

作曲経緯と「版」(エディション)について

1877年から構想をあたため、その後10年以上の歳月をかけてこの「レクイエム」は仕上げられています。

1)Introitus - Kyrie
  1888年の初演に先立つ1887年に Pie Jesu, In Paradisum と共に作曲
2)Offertorium
  1890年頃作曲。この曲と6曲目のLibera me は改変が重ねられて後に組み入れられた。
3)Sanctus
  1888年1月9日
4)Pie Jesu
  1888年の初演に先立つ1887年に Introitus-Kyrie, In Paradisum と共に作曲
5)Agnus Dei
  1888年1月6日
6)Libera me
  1892年1月28日最終決定稿
7)In Paradisum
  1888年の初演に先立つ1887年に Introitus-Kyrie, Pie Jesuと共に作曲

初演と改変、そして復元

1888年1月16日 パリのマドレーヌ寺院。ジュゼフ・ル・スファシェ(建築 家)の葬儀。(フォーレ自身による指揮)
Introitus - Kyrie、Sanctus、Pie Jesu、Agnus Dei、In Paradisum の5曲。
楽器編成もソロ・ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、バス、ハープ、ティンパニー、オ ルガンというもの。その年の5月、二つのホルンとトランペットを追加。
(この編成の楽譜を<第一稿>と呼んでいます)

この「レクイエム」が最終的な編成を整えたのは1899年でした。
上にも書きましたように、初演では5曲の編成。そして現在のような7曲となったの は1892年1月28日、パリのサン=ジェルヴェ教会での演奏でした。
その後も改変が重ねられ、99年に「レクイエム」最終稿となります。
(この編成が<第二稿>と呼ばれます)

評判になったこの「レクイエム」が出版されるとき、弟子のデュカスがオーケストレ ーションしたフル・オーケストラ版となります。
1900年7月12日トロカデ劇場でこのフル・オーケストラ版の初演が行われ、翌 1901年、フル・スコアが出版されました。
(この編成が<第三稿>です。この版が標準的な演奏譜となりました)

その後1969年、マドレーヌ教会(フォーレ自身の指揮で初演された教会)でオリジナルの楽譜が発見され、1988年、<レクイエム初演100周年>の機運の高まりのなかで研究が行われ、そしてそれに基づいた初演時編成による演奏が試みられました。
いわゆる<第二稿>の復元です。

出版譜

現在二つの復元版がよく演奏されます。
一つは今回我々が演奏する1984年に出版されたジョン・ラッター版です。
もう一つはフォーレ研究家のネクトゥーが主となって1994年出版されたものです。
オリジナル版として今まではラッター版を使用することが多かったのですが、これからはネクトゥー版も演奏されていくだろうと思います。

演奏意図

フル・オーケストラ版では味わえない、ヴィオラを主とした渋い、落ち着きのある音色が特徴です。
フォーレは彼自身による手紙の中で(1910年3月)「私は『レクイエム』をなんの目的もなく、敢えて言うなら、楽しみのために作曲しました。・・・・・・」と言っています。
実際にはある高名な建築家の「葬儀」の典礼音楽として用いられ、またそれを契機として発展、完成されたのですが、この言葉がこの「レクイエム」の特徴をよく言い表しているように思います。
フォーレの個人的・主観的な色彩に満ちあふれた、それこそ「魂の平安」を祈る「鎮魂曲」としての性格を強めた名曲となりました。

モーツァルト「レクイエム」のレヴィン版とその演奏について

モーツァルトが未完の大作として書き残した「レクイエム」。
この曲の版については様々な復元版が今世紀の後半に出版され(ジュースマイヤー版、バイヤー版、モーンダー版、ランドン版など)、話題を呼びました。
どの版がモーツァルトの意図をよりよく反映しているか?これは永遠の課題です。
今回使用する版は、1991年、モーツァルトの没後200年に新たにロバート・レヴィン(ピアニスト兼作曲家)によって補筆されたものを使用します。

特徴

モーツァルトが意図していただろう「アーメン・フーガ」が、発見されたスケッチを基に書かれています。
その他、ラクリモサの後半の修正、ベネディクトゥス後半の新たな推移挿入とオザンナの調性修正が耳をひきます。
その他、オクターブによる音の変更、セカンド・ヴァイオリン、ヴィオラでの音変更と音型の修正、そして管楽器では控えめながら若干の削除、加筆などが行われています。

演奏意図

モーツァルトの「レクイエム」の演奏、それはモーツァルトという作曲家をどう捉えるかにかかっています。
第一に彼は第一級の「オペラ作曲家」であったということが重要です。
彼の「オペラ」に登場する人物にモーツァルトは個々の性格を与えた音楽を付けました。そして全体の音楽はきびきびと、さまざまな様式に基づいて緊迫感に貫かれています。その音楽は「劇的」です。
第二に、彼の性格です
。 諸説があります。私は「強迫観念」の強いモーツァルトを想像してしまうのです。
一生涯かけての「父親」の呪縛からの解放。天才作曲家としての自負と失望。私は何かに追い立てられた彼を想像するのです。
弟子のアイブラーがモーツァルトのスケッチをもとにオーケストレーションした「続唱」。
Dies irae(怒りの日)は<死を恐れる人間>の姿を浮き彫りにします。続くミステリアスな「Tuba mirum」、威厳と恐れの大王に救いを求める「Rex tremendae」、救いのイエスに許しを請う「Recordare」、炎の中に落とされる呪われた者とひたすら哀願する者の「Conftatis」、そして絶筆となった、裁かれる者の涙「Lacrimosa」。これはどれをとっても「罪」からの解放、「裁きの恐ろしさ」からの救いを求める音楽です。
フォーレの「魂の平安」を求めた音楽とは異なり、ここに展開されているのはまさに<罪>と<責め苦>からの軽減の祈りです。私は、断片的に残されたこのモーツァルトのスケッチから人間モーツァルトの「心の叫び」を聴き取っています。
Lacrimosa(涙の日)の9小節目から弟子のジュースマイヤーが関与します。(勿論今回用いるアーメン・フーガは除きます)
Offertorium(奉献唱)のDomine Jesuからはどれほどモーツァルトの意図が反映されているか判りません。
私はOffertorium(奉献唱)以下は典礼に則して演奏されるのが一番ふさわしいのではないかと考えます。<聖体拝領>というミサの中のクライマックスの音楽です。仮に、モーツァルトの意図が薄いと知っていてもここに流れる音楽はモーツァルトに一番近い弟子が関与した音楽であり、同時代に生きた音楽家の作品です。
そしてこれは典礼音楽でもあるわけです。
正直、この「レクイエム」の前半の部分と後半では音楽の密度が違うことを感じます。
しかし、この曲は音楽史上まれにみる傑作であることは間違いありません。
演奏する度に私は引き込まれていくのです。

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