第42回

<感想>にお答えします

「二大レクイエム」が終わって2週間ほどが経ちました。
すでに多くのご意見を、口答、メールや手紙などで頂きました。

まとめてみますと、今回も相反する二つの意見に分かれます。

フォーレの「レクイエム」:
「メリハリのある表情がとても素敵」「明るさと優しさに満ちた演奏」、その反対に「<感情移入された熱演>のため、聴くのに疲れました。」とのご意見がありました
モーツァルトの「レクイエム」:
「その力強い演奏には胸を打たれます」「切れの良さがあり、生き生きとして良かった」、その反対に、「巧さに感心するものの演奏の勢い(<張り切りすぎ>という言葉でした)には戸惑った」といったものがありました。

プログラムの「演奏にあたって」にも書きましたように、フォーレは「静」、モーツァルトは「動」という演奏意図でした。
フォーレの「レクイエム」は<慎み深さ><優しさ>を基調にした「瞑想と悲しみ」の音楽です。そして演奏には宗教曲としての<純真さ><荘厳さ>が備わっていなければなりません。
とはいえ、ドラマティックな様式で書かれた曲もあります。
最初に書かれた「リベラ・メ」がそれです。
神秘的な優しさと心地良さの中にも<劇的要素>があるわけです。
フォーレ自身が書いています。
(この曲は)「それは苦しみと言うよりもむしろ永遠の至福と喜びに満ちた開放感にほかならない」と。
私はこの「喜びに満ちた開放感」というキーワードの範囲をもって演奏しました。
「柔らかな音色、瞑想的、そして親密で喜びの開放感」それがフォーレの「レクイエム」だとの想いです。

モーツァルトの「レクイエム」の解釈は複雑です。
先ず、どこまでがモーツァルトの音楽で、どこからが弟子の音楽か?
これを考えなければなりません。そして結論は、「典礼音楽」として演奏するかモーツァルト像を追い求めて演奏するかそのどちらかです。
モーツァルトの音楽、それは「ドラマ」だと私は思えます。特にこの「レクイエム」は、以前からも言われているように「死の恐怖」「罪からの救済」が強い曲です。
「鎮魂」という意味からは少し距離を置いたところでの「慰め」の音楽と私には映るのです。

今回この解釈のもとで演奏されたわけですが、実際の演奏でそれが達成できたか、あるいはその想いが伝わったかどうかの判断は聴衆の皆さんによるしかありません。
しかしながら、ご意見の中で共通したある事柄として浮かび上がってきたものがありました。
それは、次の事柄です。この二点で意見が分かれるようです。

1)身体の動き
2)感情移入の強さ

これは合唱団が以前から指摘されてきたことでもあるのですが、この問題は日本の文化とも深く関わっていることかも知れないと思っています。
我々がドイツやその他のヨーロッパの国々で演奏する際、そのことが問題となったことは皆無であったからです。
それどころか、上の2つの要素が我々の演奏に対して評価を高める要因となっています。
ただ、その「質」はこれからも練られなければなりません。
今回も幾つかのフレーズで私の思いとは違った結果になっている箇所はありました。
努力し、結果として納得していただける演奏を心がける次第です。

「自然な動き」、これを私は合唱団員に勧めています。
動きすぎはいけません。しかし、動かないというのもいけません。
歌は筋肉の運動です。あくまでも「自然な動きを」。特にリズミックな曲に対して「動きを止める」ことには反対です。弾むステップ、躍動を伴うときには全身でそれを表現するべきだと考えます。

「感情移入の強さ」、これはやはり文化の違いに関係します。
一言で言うならば、「感情は入れる」しかし、「その感情の質が問われる」ということでしょうか。
そして、その<強度>によっては人は好ましくもあり、苛立たしいものでもあるということなのだと思います。

音楽とは個人的な要素の強いものです。
その趣味、嗜好によって受け取り方も変わってきます。
「絵画によるタッチの好き嫌い」、「食や酒での甘み、辛み」の類だといったら言い過ぎでしょうか。
ただ「感情移入」を恐れて「無個性」になるのは避けたいと思っています。
ドイツやヨーロッパで学び自信を得たこと、それは「感情移入」することで聴衆の方々とのコミュニケーションが取れるということでした。
合唱団が何ものにも制約されず、思いの丈を歌に注ぎ込み、演奏し終わったときの聴衆の感嘆と喚声、そしてスタンディング・オーベーション。
これは合唱団員が体で得た聴衆からの反応でした。

ドイツやヨーロッパでの演奏と日本での演奏は違えてするものなのか?
今度の意見を聞いて、大勢(たいぜい)では我々の演奏を評価していただいたのですが、一部に「戸惑われた」方もおられました。
ここで書いたことは<言い訳>として書いたものではありません。
正直、私も「途惑っている」のです。