第43回('98/10/30)

出ました!辛口批評

出ました!ドイツ演奏旅行での辛口批評です。
とはいうものの、よく読めば結局この批評も他紙と同じく誉めていただいている内容だと思うのですが、シュッツとバッハの演奏には辛口と受け取れる内容です。

過去3回のドイツを中心とする演奏評では否定的な、あるいは辛口の批評は皆無でした。ラジオで流れた折りでも驚嘆と絶賛を頂いたアナウンスでした。
今までで唯一の批判とも受け取れる内容です。
(その全文、そして他紙の批評をOCMのホームページに掲載していますのでお読みいただけます。)

しかし、私はこれは歓迎すべき事だと思っています。良かったと思うのです。
この批評があって実はホッとしているといっていいかも知れません。
今までに無かったのが不思議だと思っていたのですね。

しかし逆説的に、この批評によって私たちの特徴がハッキリと浮かび上がる結果となりました。

ターゲスシュピーゲル(ベルリン)は書きます。

最初に書かれているR(エル)の発音のことではちょっと笑ってしまいましたが、シュッツとバッハのテクストが理解ができていない、という指摘は無視できないことでした。
筆者の耳にとって私たちの演奏は、慰め、喜び、宗教的感動にはならならかったようです。そしてその要因は、中欧ヨーロッパでは聴き慣れない<高音>重視、各声部の日本的(と筆者は思っている)とさえ言える性格の音色にあると言っています。
つまり、伝統にのっとった、聴き慣れた合唱演奏ではなかったわけです。
しかし、筆者は書きます。ドイツ語も音楽も正確に演奏され、技巧は高いと。
そしてその特色により、技巧的特色をもった作曲家の作品の演奏では成功したのだ、と。
「我々は日本の衣装を着た、一連の歌による器楽コンサートとして、大聖堂での合唱プログラムを楽しんでいるのである。」(訳:濱中久美子)というのは言い得て妙です。
そしてこの演奏会の成果は、日本人の声の特質を生かし得た、筆者も「喜び」「納得」した日本人の作曲家による作品によって意義ある大成功をおさめたのである。という結論に結びつけてこの評は終わります。

実は、この内容は一部の我が国での我々に対する批評でもあるのですね。
ですから、「やっと出たか」という感じがしています。

同じ演奏会の評が別紙の<ベルリーナー・モルゲンポスト紙>に別の筆者によっても書かれ、掲載されました。
比較して読んでみると面白いです。

言ってみれば、この批評によって改めて私の演奏意図が浮き彫りにされたことになります。

すなわち、<伝統に則った演奏>だけではなく、<新しい響きによる><新しい解釈の可能性>を探り、声楽特有の曖昧模糊とした部分を削ぎ落とし、声楽的特質の中に<器楽性>を取り入れる。

喜んでいます。
ドイツ演奏旅行での演奏評では今までになかったものでした。
欧州統合を目指している国民です。リスクを負う覚悟で東西を分ける壁を取り払った人々です。
その人々からドイツ演奏旅行の過去3回にわたって絶賛をしていただいた合唱団の歴史でした。
「伝統」と「進歩」のバランスが取れている(と私は思うのですが)、音楽国の<懐の深さ>に感心し、感激した今までの私たちに対する評価でした。
そこに今度の評です。
さらなる<錬磨>と<真剣に取り組む>重要性を感じさせていただけた評だと思います。
これからも多くのこのようなご意見が出てくるだろうと思われるのですが、私の画く音楽のために努力を重ねていきたいと思った次第です。

蛇足ですが、前回書きました

1)身体の動き
2)感情移入の強さ

これに関する否定的なことはどこにも見あたりません。
見る基準が違う、やはりそんなことを考えてしまいました。

第43回「出ました!辛口批評」この項終わり。