第47回('98/8/10)

国旗・国歌の法制化

遂に「日の丸」「君が代」が法制化されましたね。(9日、参院本会議で可決、成立)
この問題はずっとその経緯を見つめていました。
法制化は時期尚早、との意見も結構多数いたと思うのですが、世論もそして国会もそれを上回って賛成しました。

自分のことを振り返ります。
様々な行事の中で「日の丸」「君が代」とのお付き合いは多々ありました。
しかし、行事の前でも、そしてその後もそのことで<もめる>といったことはありませんでした。
幸いにして私の場合、強制されることが無かったからです。

小学生の頃の記憶はあまりありません。
しかし、中学生の頃からは意識するようになりましたから、はっきり覚えています。
国旗掲揚のとき、私は皆と反対に目線が行きます。時には、国旗を見ながら上向く人たちの様子を見ていました。
「日の丸」に反対だったわけではありません。
皆と同じ事をするのに抵抗があったからです。
「君が代」は歌いませんでした。
音楽が鳴るとそれに参加したい、何かを感じたいと思いながらも一度も「君が代」を大声で歌ったことはありません。
いい歌だとは私には思えなかったからです。
しかし、私の気の弱い性格でしょうか、口パクで歌ってました。ですから歌詞はしっかり頭に入っています。
でも、この時が一番窮屈な時間、はやく終わればいいなと思う時間でした。
指揮をするようになってからも「君が代」を振ったことは沢山あるのですが、ほとんど記憶に無いです。
やはり、面白くなかったのでしょう。(国歌を面白く演奏するなんてことはないですね)

学校ではこれからどうなっていくのでしょうね。
強制されていくのでしょうか?
ちょっと子供たちが可哀想な気がします。
きっと中に、「いやだ」と思う個性も居ると思うのですが。

選択できる自由を残したいと思うのです。
思想、信条の自由は確保されなければなりません。
押しつけられることで自由を束縛されるといったことはやはりない方がいいです。

「通信傍受法案」も参院法務委員会で採決。それも(相も変わらず)強行採決。
この国では「少数意見の尊重」は難しい。
「議論」することの精神的逞しさ、論理性、歴史的先見性、そして何よりも真の意味での人間愛って我々にほんとうにあるのでしょうか。

1999年8月9日、10日、記憶に残る日となりました。

第47回「国旗・国歌の法制化」この項終わり。