第49回('99/9/1)

個性派

人はそれぞれに個性がありますね。
その個性を一つの価値観のもとに染めてはならないと考えています。
多種の個性が入り交じった状態こそ健全であると信じているからです。

個性は伸ばすもの、押さえるものではありません。
前回「チームワーク」について書きました。
よく誤解されるのですが、
「チームワーク」のために個性はひかえて押さえるべきだと考える人がいます。
しかし、これは重要な誤りであると私は考えます。

人にはそれぞれに育った環境が異なるわけですから、感じ方、考え方、方法論などが違って当然です。
また、それぞれに得手、不得手もありますから、目的に向かう道も、それに到達する速さも一つではないわけです。
これを、一つの価値観のもとに強制するようになれば真の意味での「チームワーク」を乱すことになってしまいます。
繰り返しますが、多種の個性が入り交じった状態こそ健全な活動が行われると私は考えるのです。

しかし、私思うのですね。
この「個性」というもの、私たちはまだよく理解できていないのではないか。「個性」という考え方が乏しいのではないか?と。
もう少し深刻に言えば、「人格」「人権」というものも真に理解していないのではないかと。
(「個性」の「尊重」が<無視>(放っておく、無関心)という行為となり、「自分勝手」(わがまま)が「個性」だと思いがちの人がいます。
本当の「個性」とはそのような安易さを伴うものではないと思います。困難が伴うもの、努力を伴うものだと思うのですね。
周りとの軋轢によって、より「個性」が磨かれていくと私は考えます。
人との関わりの中で、人に学んでこそ「個性」が確立されていくのだと考えます。)

一丸となって突き進む「組織」の強さというものがあります。
リーダーと、それに追従する人々からなる集合体です。
そのリーダーがカリスマ的な存在だとその強さはより強力となります。
その場合、追従する人に「個性」は必要ありません。リーダーからみれば「従う」ことだけがその条件となるわけです。 しかし、この「組織の強さ」長続きはしないのだと私は思っています。

一方、「集団」や「組織」には入らず、「一匹狼」と呼ばれる人がいます。
集団に属さず、自分を生きる人です。(しかし、これとて近しい仲間、業界、地方自治体、そして国、民族に属さなければならず、その関係によって真の意味での「一匹」とはなり難いといえるのですが)
この生き方に共感し、憧れる人がいます。
しかし、「一匹狼」には孤独に耐え得る精神、そして強靱な目的指向と、目的達成のための厳しさがなければなりません。
そう簡単に我々は「一匹狼」にはなれないと知るべきです。


「個」としての強さをもった「個」の集合体、それが私の理想です。
個性ある人たちの集合体、そこには「賢明な知恵」と、そしてそれによる「より強固で柔軟な生き方」が見えてくるはずです。
集合体であるいじょうそこにはとりまとめる人(リーダー)が生まれますが、しかしそのリーダーに<盲従>することなく、「個性」による判断力を発揮し、生かしていく、そういった集団(組織)が私の理想なのです。

「個性」とは何か?・・・・を問い続けたいと思っています。
「個性」を尊重し合う、このことを私の活動のベースにしたい、そう思っています。

第49回「個性派」この項終わり。