第52回

合唱界事情

音楽界といっても、色々な分野があります。
大きく分けて、演奏、作曲、マネージメント、レコード、放送、出版でしょうか。
それぞれの分野について書いてみたいのですが、その中でも合唱界が結構面白いので書いてみます。
結構面白いという理由は、演奏の場、形態が多岐にわたるからです。
特にアマチュアの世界は各ジャンル別に演奏活動しており、個別化、専門化が進んでいます。
大人数による大合唱もあるかと思えば各パート一人ずつによる演奏もあります。
ルネッサンスの時代のものばかり歌っているグループもあれば、日本の合唱曲だけした歌わない合唱団もあります。洋ものにこだわるか逆に日本ものにこだわるかです。
そして、その中でもまたジャンルが細分化しています。

日本には残念ながら合唱を歌う日常的な場がありません。いってみれば日常的に<活躍>する場がないのです。
合唱の出番といえば学校の入学式、卒業式、それに記念行事ぐらいなもの、その他では殆ど一人で歌う場しかないように思うのですが、どうでしょう。
欧米諸国では伝統的に、生活の中に合唱が入り込んでいます。昔から人が集まる教会(礼拝の参加が半強制的でした)では合唱が歌われていましたし(人々にとって興味深く、お説教よりは楽しみだったでしょうね、(笑))、また、歌い手にとって小遣いかせぎにもなっていたという街中を歌いながら回るという習慣もありました。つまり欧米諸国では人が集まるいたるところに合唱の活躍する場所があったわけです。

先日、合唱コンクールの審査を依頼され長野に行ってきました。
何回か既にコンクールの審査をしたことがあるのですが、この<特殊な世界>での合唱はなかなか興味深いものがあります。
日常的な活躍の場がない合唱好きな人々は、「コンクール」という場にその楽しみを求めているようです。今度行った長野での中部地区のレベルは高かったですね。驚きです。
彼らの情熱は年に一度の「コンクール」に燃えます。そして全国大会という晴れの舞台に向けて燃焼させるのです。

年齢が下がるほどに「巧い演奏」が聴かれました。
「中学の部」では、これほどにやって良いのだろうか思う出来映えです。
発声面でも大人の声を目指しています。テクニック的にも高いです。それに加え、真摯に合唱に取り組む姿勢を見せてくれるわけですから感動ですね。
「高校の部」は、更にテクニック的なものが磨かれているようです。
そして年齢的にも声が出来上がってくる頃ですから響きに艶や深みが加わります。
選曲も超難度の高いものを聴かせます。審査する私も思わず聴き入ってしまいます。
「中学の部」「高校の部」の素晴らしさに比べ、「大学」はもう一つ、の感ですね。
まず、出場大学が少なすぎます。
ということは合唱人口が減っているわけです。
中学や高校で育った人たちは何処へ行ってしまったのか?
「大学の部」のレベル低下は全国的です。
そして「一般の部」、ある意味で日本の合唱界のレベルを計ることの出来る部門といえるでしょう。
ここでも、聴いている限り素晴らしくレベルの高い演奏をここ中部地区で聴くことができました。発声、アンサンブル力、情熱、どれをとっても素晴らしい団体があるんです。
限られた時間内での<凝縮の世界>が繰り広げられます。彼らの活躍の世界、それは「コンクール」なのです。

「コンクール」に登場してくる曲はすでに日常的なものではなくなっています。
演奏的テクニックも最高のものを要求されます。音楽好き、合唱好きな人でも手を出せないほどに高度です。そしてまた、それらの「合唱芸術」と呼ばれる曲も全曲通して演奏できるわけではなく切り張りして演奏しなければなりません。(演奏時間が決められています)
これでは作曲家の意図も伝えられず、テキストを通しての内容も深く伝えることが出来ない可能性が大です。
「時間芸術」にあって<数分間>の表現での音楽性。
時間が長いだけが音楽だとは決して思いませんが、この短さの中の音楽、そしてその中で競い合うという空間はやはり私、音楽界の中でも<特殊>だと思ってしまいます。

<特殊な世界>の合唱、と書きました。その合唱人口が減ってきたと関係者は口を揃えて言います。
実感として、私も合唱界にかかわり始めた時と比べて激減という感がありますね。
日常的な合唱の場でなく、「コンクール」という閉ざされた場での彼らたちの燃焼。
これは何処の会場でも感じることなのですが、この「コンクール」に聴きに来る一般のお客さんも少ないですね。「コンクール」で育った多くの人たちがいるはずなのですが・・・・。今回でもとても少なかったです。
さすが多かったのは「中学の部」、それは父兄の方々がいらっしゃったからです。
「コンクール」という華やかで刺激的なイベントにもかかわらず、だんだんと先細りのする雰囲気ではありました。

日常的にもっと「合唱の場」が増えればいいですね。
学校の行事ばかりでなく、我が国で冠婚葬祭にわたってもっと合唱が聴かれるといいです。
人が集まる、そして合唱の経験のある者がその場にふさわしく、また楽しく場を盛り上げる。
しかし、現在一緒に歌える「その場に適した曲」「共通の曲」がありません。
時々聴かれる合唱は「仲間」としての確認や思い出のようです。
その場に居合わせている者にとれば「疎外感」と共に寂しさを覚える時間ではあります。
現代の作曲家にどんどん曲を書いてもらいましょう。
難しくなく、誰にでも歌えて、生活に密着した曲を!
私、一層その感を強くしています。

合唱は生活に強く結びついた分野です。言葉があるからです。
器楽と決定的に異なる部分です。
「特殊な世界」としての合唱でなく、「日常的な世界」としての合唱音楽を!
私のもう一つの、これは大事な仕事だと思っています。

第52回「合唱界事情」この項終わり。