第54回('00/1/15)

合唱団の支柱(その2)

飯沼くんと出会ったのは京都でした。
「京都モンテヴェルディ合唱団」に入団した時です。
しばらくしてから「大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団」に誘いました。

恵まれた声帯の持ち主なんですね。パートはテナーです。
いわゆる「声のチェンジ」の苦労を必要としない声です。
普段、合唱団の中では物静かな印象です。ただ、歌ったときは人が変わったようによく目立ちます。
キリッとした存在感を周りに放つんですね。彼はホントに合唱が好きなんだと思いました。

合唱団の前代表が仕事の都合で東京転勤となった折り、次期代表を私は迷わず彼に依頼しました。20代の代表誕生です。
入団してからもあまり個人的な話をした記憶がありません。しかし、彼に代表を託すことについては<確かな自信>のようなものが強く私にはありました。

適切な状況判断をたくさん見てきました。
基本的に押さえておかなくてはならないことを、彼は短い言葉で、端的にまとめてみせるのです。
合唱団の<まとまり>という点で、それまでにない安心感を皆の気持ちに築かせてくれる大きな存在、中心でした。
その彼が代表になってからの合唱団の歩みは、<合唱団の発展>と見事に重なっています。


彼が今年、初めて<正月スキー>に参加しました。
彼はスキーが苦手だと聞いていました。(後で判ったことですが、彼は幼児体験で<坂>傾斜恐怖症だったそうです)
その彼が去年より始めたダイビングを契機として、スキーに挑戦したいと言い出したのです。
彼のスキーに付き合いながら、私は彼の<本質>を垣間見ることができたかもしれないと思いました。
言葉にはできなかった彼への<信頼>、その理由を知ったと感じたのです。

飯沼正雄です。今年35歳ですか。

ちょっとしたスキーヤーの風貌、しかし恐怖症との戦いでした。

したがって、スキーの超初心者です。何度もバランスを崩して倒れます。しかし、最後までバランスを保とうと必死、その末の転倒です。立ち上がりは早いです。すぐに立ち上がって滑り直そうとします。彼がその際言っていたかどうか判りませんが、「負けるもんか!」「ちくしょう!」などと聞こえてきそうな健闘振りを終始くずしませんでした。

こういった傾斜が彼だめなのですね。このゲレンデではないのですが、練習のために他のスキー場の急斜面に連れていった時のことです。苦労の末(何度も転倒し、恐怖の斜面と戦いながら)滑り降りたところで彼は泣いたそうです。(ホントに怖かったのです)彼を見守っていた幾人かがその涙を見ています。後を追って降りてきた私が下山を勧めたのですが、彼は「もう一度行って良いですか」と言うんですね。そして再度その急斜面を滑り降りてきた彼は「すこし慣れてきたかもしれません」と言ったのです。
自らの恐怖心との戦いは他人には決して分からないことでしょう。慰めることも、勇気づけることも虚しく思われます。彼がどのような気持ちで滑り降りてきたことか。
宿に帰ってきた彼の足腰は痛みを発し、膝はガクガクだったとか。
しかし、彼の顔は晴れ晴れとしたものに私には見えました。


合唱団の発展は彼と共に始まりました。
彼の人生としての充実と広がりをどう合唱団がサポートできるか。
そして彼だけではなく、支え合ってきた団員全員に対して、どのように合唱団がサポートできるか、それが課題でもあると私は思っています。

合唱団は<人の集まり>です。
様々な個性の集合体です。
人無くして音楽は鳴り得ないと私は思うのです。

第54回「合唱団の支柱(その2)」この項終わり。