第57回('00/5/9)

「ヨハネ」を振り返ります

バッハ「ヨハネ受難曲」の「神戸」「和歌山」「京都」公演を終えました。
今年に入ってからの前半の私のスケジュールは、この「ヨハネ」の演奏に向けての調整だったように思います。
久しぶりに資料に目を通し、バッハについても想いを巡らした貴重な期間でした。
それによって、新しい解説書も書きました。

基本的な演奏解釈はいままでと変わっていません。
振り返ってみると、より「私のもの」となった演奏でした。
今までに、沢山の演奏による「ヨハネ」を聴いてきました。
LP、CD、日本人による演奏家、来日演奏家、そして一度だけでしたけれどオーストリアでも聴きました。
今まではどこかそれらを意識した演奏だったかもしれないですね。
しかし、今回は意識的には解放されたように感じます。

では、今回のそれぞれの演奏が私にとって最高の、理想的な演奏であったか?
しかし、そうだと位置づけるにはまだ至りませんね。
どの演奏会もそうだと思うのですが、そう満足できる演奏で終わるわけはないのですね。
でも私にとって、その中にあってソリストたちとオーケストラの息がより合ってきたのは今回の大きな収穫です。
独唱と器楽奏者との間がどんどん親密になっていく、これは小気味よい練習からの運びでした。

細かく言えばきりがないのですが、直したい部分、思いと違った箇所などもあります。しかし、私がこの曲で一番示したかったこと、<ドラマ性>に関してはどの演奏会においても表現できたのではないかと思っています。
そういう意味で成功した演奏会であった、という認識です。

いつも私たちの演奏会に来ていただいているスイス人の方も、そして私たちのドイツ語をチェック、指導をしてくださったローデ先生も、その意図を理解してくださっての盛んな拍手が印象に残ります。
後日談でも興奮されて演奏の模様をお話下さっていたようです。
バッハの魅力、演奏の魅力、そして慎重に記さなければならないのですがパフォーマンス(既成のワクにとらわれないという意味で)としての魅力を、これからも追求していきたいと強く思うしだいです。

しかし、と思うんですね。
3回の演奏会、沢山の方々にご来場いただきました。
来て下さった方々に、演奏の面白さは伝えられたと思うのですが、「ヨハネの世界」を伝えることができたかどうか?
これが問題なのですね。
有り難いことに、正直な感想も聴かせていただきました。
「面白かったのですが、内容が・・・・・・難しいのです」と。
内容がもっと身近なこととして感じてもらうことができれば、作品としてこれほど恵まれたものはありません。
音楽を、「内容と共に楽しみたい」と思っていらっしゃる多くの方々にとっては、この福音書の世界はまだまだ身近なものとはなっていないのですね。
「芸術」としてとらえるか、「文化」としてとらえるか。
聴衆の側でも整理される必要があるかもしれないですね。

「音芸術」として楽しむか。
「内容」を享受して楽しむか。
知識としての「内容」になりがちな我々日本人の「キリスト教」のテキスト。我が国では1%(2%弱)ぐらいだといわれているキリスト教信者の数です。
それらの内容が<身近だ>とは言えません。
ここに、いつもながら大きな悩みを抱きます。

「生活に密着した」「人間の根源に触れる」「人の魂を揺さぶる」「人の感性を豊かにする」そういった活動を目指そうと思っています。
今回の「ヨハネ」の演奏がそれに沿うものであったか?
そうであったと願うばかりです。

第57回「<ヨハネ>を振り返ります」この項終わり。