第58回('00/6/1)

「ライブ」と「録音」

こんな話を聞きました。
歌手志望(アニメソングを歌うアイドル歌手)の子(高校生)のCD録音取りの話です。
二日間缶詰状態での録音。
場所は東京の録音スタジオだそうです。

内緒ですけどね、と言って話してくれたそうなんですが、でも次のような話はもう常識ですね。別に隠しておかなければならないこともないかと思います。
録音では一度も通して歌ったことがないそうです。
4小節ずつ(これはワンフレーズだからですね)を何回も取るんだそうです。
そして、それらの気に入ったところを継ぎ接ぎするのですが、フレーズばかりではなく、一音だけを入れ替えることもするんだそうです。(例えば、わ・た・し・はの「は」が気に入らないと、何度か採ったもののなかから気に入った「は」だけを取り出して入れ替えるんですね)
また、後でCDを聴いてみると、リフレイン(繰り返しの部分)が入っていたそうですが、なんとそれは一度も歌ったことが無かったんだそうです。

「私は中学の頃からこのスタジオに来ているが、結構有名な歌手の人(ほんとに今超売れっ子の名前が出てきたそうです)が通しで歌っているのを聴いたことがない」と言っていたそうです。
「<生>では歌えない。だから、今はライブでは歌わせてもらえないんです」。とも話してくれたそうなんです。
このCD、5月25日に発売、すでにテレビで流れているそうです。
聴いてはこんな事情など判らないでしょうね。

クラシックでのこの種の話はカラヤンが有名ですね。
また、グレン・グールドも話題になりました。
しかし、録音は全てそうだと思ったほうがいいです。そのように作られると考えた方がいいですね。
機械(マイク)を通しての録音、多少に関わらず継ぎ接ぎされた音源、エフェクター(エコーなど)を通しての音源など人工的に手を加えてあるというのはむしろ当然だと考えたほうがいいですね。
そのための職業的専門家も生まれてきたわけですからね。
(私がリリースしたこれまでのCDは、これに反して編集しないという方針で制作してきました。<ライブ>へのこだわりからです。エフェクターをかけた方が良いという意見もあるのですが、まだ私の中ではOKがでないですね)

「ライブ」と「録音」は<別物>です。
同じ音楽だといっても別物として扱った方がいいのではないかと私は思います。

日本でのクラシック鑑賞の始まりはレコードからでした。
日常的には「ライブ」の環境が無かったわけです。
家庭内で、学校で、街角で、集会場で<ライブ>は行われなかったのです。
クラシックでいう室内楽などは限られた場所でしたし、またその機会も少なく、聴くにはレコードによるしかなかったのですね。
ヨーロッパでは一年に一枚か二枚しかCDを買わない聴衆がコンサートを支えていると聞いたことがあります。そうだろうなぁと私も思いますね。

日本人とレコード(CD)、これよく合ってます。
しかし、若者たちの間では<ライブ>の魅力も十分に味わっているように感じます。
オキナワなどは<ライブ>が中心です。(街ぐるみで、また家庭においてもですね。当分大丈夫と思いますが、CD産業の進出、もろもろの内地化が影響を与えていくでしょうね))

<ライブ>とは「今(現在)」を基準とする<相対>としての面白さです。
全てを相対化し、尚かつ<参加>する、この魅力です。これが私の<ライブ>に対するこだわりですね。

一方の「録音」なんですが、正直言って<ライブ>ほど音楽の喜びを感じられなくなってしまった私です。
「参考」にするといった、本来的な「記録」としての興味はつきないのですが、録音用に制作されたもので「鑑賞」する、「楽しむ」という気持ちにはなれないんですね。
「絶対化」の恐れ、聴き慣れからくる聴覚の「凡庸さ」の危険性を感じてしまうんです。

<ライブ派><オーディオ派>なるものが今もあるのでしょうか?
以前は、両者の攻防戦が激しく雑誌等で行われていたことを思い出します。しかし、現在ではもう両者は近寄り、重なり合っている部分も多くなってきたように思います。
これはきっと、それぞれは<別物>として見られてきたからだと思うのですが、どうでしょう。

でもいまだに時々いらっしゃるんです。「録音」物を絶対的に信頼しておられる方が。
<ライブ>より<録音物>の方を信頼の拠り所とされるんですね。
でも、どっちがホンモノだというものではないと思うのです。目的や演奏の状況はそれぞれ違うのですから。

聴衆から言えば、その違いを知って<ライブ>も楽しみ、<録音物>も楽しめるようになればいいですね。
しかし、熱心な演奏者のファンになってしまうと<ライブ>も<録音物>も区別が無くなります。とにかくその演奏者が奏しているというだけで満足のようです。
そんなファンの心境ってうらやましくもあるのですが、私などは絶対化、固定化、また人として狭量とならないか少し心配になってしまうんです。

第58回「「ライブ」と「録音」」この項終わり。