第63回('00/8/27)

25年を振り返ります(2)「演奏会」

組織的な演奏活動などできるものではないとあきらめかけていたにもかかわらず、教会の記念行事というきっかけで始まった演奏会。
オルガニストという立場からも、「教会音楽の充実」が計られるわけですから、「ひとつやってみるか」という思いでした。

当初の演奏会は定例化したものではなく単発的なもの。
いつ開けなくなるかわからない演奏会というわけです。
教会での演奏会も珍しかったのか、始まった演奏会は幾度か新聞でも記事として掲載されました。
当時の思い出として記憶に残っているのは、当日のプログラム、そして私の貯金のことです。

プログラムの思い出、それは全て手作りだったということ。さすがにチラシは専門の方にお願いしていましたが、プログラムは手製です。
「プリントゴッコ」といったでしょうか、その機械で一枚一枚作ったことを思い出します。インクが乾かないので、家の部屋中一杯に並べて乾かしていたのが面白く、またおかしく、懐かしいです。
私の貯金の話。
新聞記者さんのインタビューを受け、演奏会にかかる諸費用の話になったのですが、その話が記事になって新聞にでかでかと載ってしまいました。
実際、当時の費用は全て私の持ち出し。そして全て赤字だったのですが、「貯金50万円をはたいての演奏会」という記事になってしまったのですね。
これには苦笑いです。なんでもかんでも話すものではないというよい教訓でした。

パイプオルガンという楽器を当時は設置している教会が少なかったです。又、現在のようにホールに行けばオルガンが聴けるという環境でもありません。
まだまだ珍しい貴重な存在のパイプオルガン。それならば、そのパイプオルガンを聴いて頂き、パイプオルガンを中心に据えたプログラムを組む、これが演奏会のコンセプトになりました。
タイトルは「パイプオルガンを囲んで」、と付けた所以です。

仲間となったフルート奏者と共にバロック音楽を中心にプログラムを組みました。
当時は「バロック音楽」という言葉が流行になっていた時代。
しかし、現在主流となっている「オリジナル楽器」の演奏はまだありませんでした。
盛んに「オリジナル楽器」に関する資料が出始め、雑誌などにもそれに関心を向けさせるような記事の掲載。
新たな「バロック音楽再生期」の潮流に、日本の一部の音楽家たちが乗りはじめた時代でした。

経済的にはいつも息絶え絶え。
何を、何処を目指すかははっきりしているものの、関西にあっては資料不足、楽譜不足、楽器不足がなによりも致命傷。
当時を振り返ると、ホントによく続けてこられたものだとあらためて感慨にふけってしまいます。

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