第65回('00/8/29)

25年を振り返ります(4)「シュッツとの出会い、そして定期演奏会」

音の輪郭がハッキリしている音楽。
メッセージ性を全面に表現した演奏。
引き締まったリズム、作品の構造が目に見える演奏。
それが私の演奏の意図でした。

合唱においては
テキストの内容を具現化する表現法。
言葉が明瞭に聞こえる歌唱法。
純粋のハーモニー
これらが目的でした。

演奏そのものの行為の底に流れているのは「メッセージ」です。
作曲家の、そして作品の内容によるメッセージをどのように聴衆に伝えるか?
これが私が唱えた基本理念でした。

定期的に演奏会が開かれるようになります。
管とのアンサンブルは常となっていたのですが、弦の参加は遅れました。
その理由は、私が弦楽器のことについての知識が乏しかったからです。
弦も加わった少し大きめの曲が必要になった時、弦楽グループは外から迎えました。いわゆる客演です。
しかし、これでは上記したような演奏は望むべくもありません。
私自身が弦のことを学ばなければこの先はないと知り、短い期間ではありましたが、ヴァイオリンを習いました。
勿論、奏者としてはモノにはなりませんでしたが、この経験からボーイングのことなど、弦楽器について学んだことは貴重です。(ヴァイオリンにかかわらず、弦一般についての文献をこの時期集中的に読みました)

室内アンサンブル、室内オーケストラの形態をとりながら演奏会は定例化していきます。
合唱団はバッハやその周辺のカンタータを取り上げ、プログラムに加えられていきます。
(当時、合唱団にはまだ名前が付けられていませんでした。後には発展して、「大阪コレギウム・ムジクム合唱団と」名付けられ、タイトルを「大阪コレギウム・ムジクム合唱団演奏会」とする演奏会が浪花教会礼拝堂で開かれるようになります。)
合奏団は徐々に形が整えられ、、「大阪コレギウム・ムジクム 特別演奏会」(1979年3月14日、大阪府立労働センター大ホール)が開かれ、名称も「大阪コレギウム・ムジクム合奏団」と名付けての室内オーケストラ活動が続きます。
このころの思い出深い演奏は、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)の依頼で実現したセシリア・バルチック(チェロ)との共演です。

レパートリーはバッハを中心とするバロック音楽です。
合唱団にはドイツ音楽の系統的な練習の必要性を強く感じました。
また私自身も、ドイツ語と音楽との関係を「ドイツ音楽」をさかのぼって経験したくなりました。
これがハインリッヒ・シュッツとの出会いです。
「ドイツ音楽の父」と謳われたシュッツの音楽。その衝撃的な出会いは核心的なものでした。
「十字架上の七つの言葉」を含む一枚のLPレコード、それが私の音楽観を更に堅固にするものとなったのです。
シュッツの熱い祈り、確信に満ちて力強く前進する音楽。優しく、また深く、祈りを音空間で満たそうとする強い信仰心。
そこに鳴り響いていたのは紛れもなくバッハへと通ずるドイツの祈りの音楽でした。
神の存在が生活にまで浸透し、人々が神と共に歩んでいた時代の音楽でした。

借り物ではないアンサンブル、本格的に演奏活動ができるアンサンブルを目指して合奏団の改名が先に行われました。
仲間の提言、「当間くんがシュッツの音楽に共感を得たんだから、シュッツの名を冠しては」ということで、今となっては単純だったと思うのですが「アンサンブル・シュッツ」と命名しました。
合唱団の改名を躊躇した理由は、その頃の合唱団ではまだ私の理念を実現させられないとの判断からだったでしょう。(アマチュア的なものに不安を抱いていたのでした)

  もし、シュッツの音楽と出会っていなければ現在のような室内アンサンブル、合唱団は存在しなかったと思います。
シュッツとの出会いによって、私は「合唱音楽」と真剣に取り組んでみたいと思いました。
当時の合唱団ではまだまだという思いがあったものの、器楽指向の私が、新しい団作り、新しい響き作り、音楽作りを通して私が目標とする音楽の具現に向かうという計画の転換点を合唱音楽に見いだしたのでした。
そのためには合唱団の一層の飛躍が責務でした。
しかし、合唱団がシュッツ合唱団と改名するにはもう少し時間が必要でした。(実際には2年を必要としました)

この改名を決心をさせる出会いが訪れます。

1981年9月、一人の音楽大学声楽科に在学中の学生が新入団員として入団します。
この新入団員が、後に合唱団にシュッツの名を冠し、本格的な演奏団体として活動するという決心を私に起こさせたのでした。
その名は倉橋史子。

彼女のデビュー、それは1981年11月28日、「アンサンブル・シュッツ 第一回定期演奏会 「バッハの世界」」(宝塚ベガホールで)でした。

No.65「25年を振り返ります(4)「シュッツとの出会い、そして定期演奏会」」('00/8/29)終わり