第69回('00/10/31)

演奏会と差別語

教会のオルガニストを務めていた頃、賛美歌を歌うときや聖書を朗読する際にちょっと引っかかる思いをすることがありました。
見下した表現、差別的と受け取れる表現や言葉、男尊女卑の思想などでした。
その流れもあって、演奏会での曲や歌詞などには神経を使います。
しかし、この問題は気を付ければ気を付けるほど、細部での窮屈な思いへと落ち込んでいきます。
結局は受け取る側の「心の傷としての体験」に基ずかなければならないもので、これがあからさまな差別語である場合、当然省かれたり変更されるものでなければなりません。
しかし、その出典や歴史的な推移などハッキリしていないものの判断は難しくなります。
<疑わしきものは全て排除>や、数少ない差別体験者による証言での判断は一考を要します。
専門的な知識、論議が必要だと思います。(個人的なレベルでの対処では明らかだと私は思っています。それは、相手の不快に繋がる言葉(使ってほしくない言葉)は使わないということです)

先日のザ・シンフォニーホールでの記念演奏会の中で、ある曲の歌詞が「差別語」ではないかとの指摘を受けました。
放送関係者の方からの指摘だそうです。(確認はとれてはいないのですけれど)
その曲とは「下駄かくしチュウレンボウ」。
チュウレンボウという言葉がその対象。
私など、小さい頃から知っていた歌でしたし、歌ったこともあるかと思います。(当時は差別なんて意識したことは一度もありませんでした)
この歌、結構話題になった歌でした。
話題となったのは新聞に出たからでした。(この件については以下に詳細が書かれています)
私もこのことは頭の片隅にあったらしく少し懸念したものの、柴田作品として「なにわ歳時記」に含まれているということ、私自身もこの曲が差別的歌だとは思っていなかったこと、そして歌ってくれた女子大生にも良く知られた(よく聞かれた)歌だということで今回選びました。

演奏会が終わってからの指摘。
東京公演も控えています。それではと、幾人かの団員に調べてもらうよう依頼し、その結果が以下のホームページとの出会いとなりました。

灘本昌久(なだもと まさひさ)氏 京都部落問題研究資料センター所長のホームページ。
http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/index-j.html
その中の
http://www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199301.htm
に「わらべ歌と差別」としてこの「下駄かくしチュウレンボウ」のことが書かれています。

演奏会、それも合唱の演奏会では用いられる歌詞に注意を払わなければなりません。
差別語としてだけではなく、あらゆる角度から「ことば」を再認識する作業が練習の中に含まれなければならないと思っています。
それが「歌」を「生きた言葉」に変換できる重要なポイントでもあるのですから。

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