第74回('01/9/26)

カラバッジョの絵画に思う

17世紀イタリア最大の画家カラバッジョの日本初の展覧会が今月、9月29日から東京・白金台の東京都庭園美術館で始まるそうです。
展覧会はこれに先だって欧州各地で開催されたそうなのですが、これが大きな話題を呼び、特に、ローマでは押すな押すなの大変な盛況で会期延長が相次いだとあります。(25日朝日新聞朝刊)
新聞の案内広告には解説があり、執筆者の若菜みどり氏は「天才か破壊者か」(四世紀経て人気沸騰)と題して一文を寄せています。
読んだのですが、それは私にとって刺激ある内容でした。
それには訳があるのですが、その理由については後述します。

新聞記事には
「21世紀初頭のヨーロッパで最もポピュラーな画家になってしまった。思えば今昔の感がある。私がカラバッジョを卒論に選んだ1957年には彼のことを知っている人間は日本ではごくわずかだった。欧米でも似たようものだった。ただ無名ではなく、評判が悪かったのである。・・・・・・・・・20世紀半ばまで美術家はこの画家を無視し続けた。・・・・・しかし、彼の評価は50年代に上向きに転じ、それ以降右肩上がりに上がりっぱなしである。ラファエロもミケランジェロも人気が鎮静しているのに、カラバッジョの人気のみは世紀を越えてなお上昇中でその勢いは増すばかりだ。・・・・・・カラバッジョの絵は一度見たら決して忘れられないほど強い。絵ではなくて実際を見たようだと。・・・・・・彼はまるで同時代人シェークスピアの芝居のように、主人公にだけスポットをあてて、その表情から内面を推測させるのである。普遍的な真実は問題にならず、ここでは個人の内面のドラマだけが重要である。」と若菜氏は解説します。

言い得て妙、溜飲が下がる思いです。
私が音楽活動を始めた頃、作品の時代背景や作曲家のバックボーンを調べる機会を多く持ったのですが、ことごとく私に強く印象づけたのはバロック絵画の世界でした。
印刷された楽譜、演奏されている楽器、演奏者の経歴などといった問題よりは、私の関心は常に作曲された時代と作曲家の作曲する位置、視点というところに強くあります。
その背景や視点に近づくことのできる道、それは当時に描かれた絵画の中にあると私は信じました。

カラバッジョの絵、それは強烈な印象でした。
バロック時代の作品を演奏するとき、私の頭を過ぎるのは彼の絵を含めたバロック絵画です。
そこに溢れる流動の力強さ。
光と影による際だつ視点。
画家の目によって肉薄する精神の世界。

先の解説の中に次のような一文もありました。
「学者流にいうならば、彼ははじめて「映像的」な視覚を創造した革命家なのだ。それは光の視覚であり、個人の視覚である。」
そうだと私も思います。
演奏を通じて、「バロック絵画」的な演奏を試みたいと願っていた演奏活動初期の私にとって、バロック絵画の特徴が演奏の拠り所でした。
機会あるごとに絵の話をして解説などするのですが、バロック絵画ってあまり我が国では興味を持っていただくことができません。
人気がないように私には映りました。
音楽関係者の方々の中にも(私がお会いした範囲ということになるのですが)無関心な方がいらっしゃったのですが、これにはちょっと驚いたばかりでなく、落胆さえ憶えたことを思い出します。

バロック絵画に大きな影響を与えたカラバッジョ。
その特徴はバロック芸術の底に流れる大きな基幹の一つだと私には思われます。
バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディ、そしてそれらの大家たちを輩出した一時代前の音楽作品に対してさえも、それらの特徴は演奏する際の参考になりうると私は確信するのです。
今回の展覧会、どのような反響を得るか、楽しみです。

東京と愛知での開催とあります。
大阪には来ないのですね。
これは是非とも出かけなければ、と思っているところです。

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