第75回('01/10/19)

なぜ ベートーヴェンなのか?

(「ベートーヴェンシリーズ」のプログラムに掲載した「演奏にあたって」を転載、加筆したものです)
「シュッツ」がどうしてベートーヴェンを演奏するのですか?と聞かれることがあります。
モーツァルトも演奏しています。シューベルトも演奏しました。
そしてブラームスの「ドイツ・レクイエム」、ブルックナーのミサ曲も何度も演奏しているのですが、ベートーヴェンには疑問を持たれる方もおられるようです。
それはオーケストラとして、交響曲や純器楽曲へとレパートリーの拡大を目指す我々の活動が途上であるとの一般的な認識によるものかもしれません。

「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」の<シュッツ作品>の演奏、<現代音楽シリーズ>での現代音楽の演奏は幸いにも多くの方々からの高評に支えられて活動が続行されています。
その合唱団の演奏基盤の柱の一つであるミサ曲等の宗教音楽で音楽を共に作ってきた器楽アンサンブルが、そのレパートリー拡大の意味を含めて、「シンフォニア・コレギウム大阪」(旧名「アンサンブル・シュッツ」)と改名し、新たに活動を開始したのがこの「ベートーヴェン・シリーズ」です。

現在までに、序曲や「第4番」「第8番」「第9番」の交響曲を演奏しているのですが、一貫してその作品へのアプローチはバロック時代からの歴史的変遷を辿る音楽の捉え方です。
発展を遂げてきた楽器及びその使用法、線的構築からなるポリフォニーの変容、ソナタ形式に代表される音楽形式の推移、和声を構成する音の拡張性、それらを明確なテクストとして立ち上がらせる、それが新たにベートーヴェンの魅力を探る道であるとの捉え方です。
ベートーヴェンのシンフォニー(交響曲)は、一般的にも良く知られている革新性に歴史的意味があるのは自明のことですが、演奏を通して我々が感じるその魅力はいわゆるズィンフォーニッシュSymphonisch(交響性)そのものにあります。
呼び交わされる楽器群、解け合い共鳴し合う響き、巧妙に組まれたリズムと和声、それは楽曲構造の歴史的発展での重要な節目であるばかりだけでなく、これらの音組織の統合と連結の妙味が深く人間の感性へと迫ってくるものとして、現在においても時を超えてわれわれの耳を大いに楽しませてくれるのです。
ここに私が最も大きな関心を寄せる、業(わざ)としての<人間存在の確かな足跡>を観るのです。
我々の試みが少しでも音楽する喜びに通じるものであれば、と切に願うばかりです。

第75回('01/10/19)「なぜ ベートーヴェンなのか?」この項終わり。