第83回('03/4/12)

「テンポ・ルバート派」宣言

「テンポ・ルバート派」を宣言したいと思います。

テンポ・ルバート<tempo rubato(伊)>とは一定の厳格なテンポで演奏するのではなく、曲の解釈にのとって音符の長さを柔軟に伸縮させる演奏のことをいいます。
これに対するのは、イン・テンポ<in tempo>(テンポを揺らさないで一定して演奏すること)と呼ばれる演奏です。

人間にとって、機械的で厳格なテンポを取ることは至難の業です。
学習段階では厳格なテンポで演奏することが課題とされます。
いっさいの<癖>を取り除き、筋肉や神経系統の制御・強化することによって練達へと向かわせるわけです。

正確で速く演奏できることは演奏者にとって重要な目標の一つです。
奏者にとっても、聴衆にとっても、快活な動きや目を見張るような華麗な演奏は魅力的であることは間違いありません。
機械文明へと、そしてデジタル化へと進んでいく社会の流れと相まってその指向は次第に拍車がかかりました。
ヴィルトーソとしての絶対条件となりました。
正確に、そしてより速くということは演奏家にとっての大きな課題となったのでした。

西洋音楽にとってメトロノームの発明は画期的でした。
瞬く間にこの機械は、正確に、そしてより速い動きを得るための理想的なアドバイザーとして地位を確立することになります。
演奏家の卵たちはこの機械に向かって黙々と腕を磨きました。

ベートーヴェンが自作にこのメトロノームによるテンポ指定をしたことは有名です。
作曲家にとっては、自身のイメージを伝えるための恰好の機械となりました。
以後、このメトロノームによる数字の威力は高まるばかりで、作曲家によるメッセージの一つとして現代に到るまで君臨します。

一方、メトロノームの使用は、均一的な音、そしてテンポを演奏家に対して要求するといった要素を呈しました。
本来、リズムやテンポは<揺れる>ものだと思うのですが、その<揺れ>を取り除くためにメトロノームは使われてしまった感があります。
数字による自縛への道です。
機械的な一定したテンポを理想とし、揺れをなくしたテンポで奏することを目的とする演奏者も現れました。

演奏は感情によって微妙に音やテンポが変化します。
決して機械的な音の一定の運びが音楽としての理想ではありません。
音の変化と動きの制御、これが音楽する本質だと考えます。
その変化の仕方、制御の仕方が演奏者の個性としての本質です。

*演奏者の未熟なテクニック。
*演奏者の押しつけ的な個性
*演奏者の強い解釈の押しつけ

といったことによらない「テンポ・ルバート」が私の理想。

作品の本質と向き合って音作りをする。
それは人間としての息づかいを再生させることだと理解します。
ある時は穏やかに、そしてある時は激しく・・・、自然な息づかいとはその間(はざま)で絶えず<揺れ動く>様です。

改めて
「テンポ・ルバート派」を宣言したい思います。

関連するページとして、ホームページ内の「指揮台からの独り言」から

【No.2 テンポ設定】
【No.7 「拍子」の不思議】

を読んでいただければ嬉しいです。

第83回('03/4/12)「「テンポ・ルバート派」宣言」この項終わり。


【戻る】