第84回('03/7/10)

シーズン・オフに想う

今年前半のコンサート日程を終え、今、シーズン・オフを迎えています。
シーズン・オフとはいえ、通常練習は秋からのコンサートシーズンに備えて準備に入っているわけですから全くのオフ状態とはならないものの、あの怒濤のようなコンサート前のタイトな時間の過ごし方ではありません。

このシーズン・オフに入った頃は疲れもあってか、ゆったりと時間を過ごしていたのですが私の中でそろそろ恒例のことが始まりつつあるようです。
それはこれまでの反省と、次のシーズンへの展望が私の頭のなかをめぐります。「反省」はいつも同じ、以下のようなものなんです。

私の演奏が「私」という矮小の世界だけの表現に終わってはいないか?
自分が持っている以上のことは出来ないと知りながらも、演奏し終えての「悔やまれる」という思いはやはり避けたいと思うのですね。

「他」にどれだけ想いを寄せることができたか?
ちょっと意味不明かもしれないのですが、これが結構私にとっては大事なこととなっています。
要するに、「自分勝手」が怖いのです。
周りとの距離を知りたい、確かめたいのですね。
「他」を無視したり、軽く見ることができません。「他」と共感したいと思っています。
しかしながらその結果としての「妥協」「折り合う」といったこととは無縁です。
自分の道は歩む、しかしその道は「折り合っての道」でない「我が道」でありたいということですね。
その「我が道」が「他」とどう関係しているのかが私には重要で知りたいことなんです。

人の生きざまが想像できるか?
人の生き方に想いを寄せられたか?
これが「私の道」の傍らにずっと寄り添っている事柄です。

「美」を追求したいと思っています。
「我が道」は「美」へと向かう道です。
音楽家として、芸術家として「美」を追求することは当然の道だと思っているのですが、その「美」とは何か?が私にとって厄介な事柄のようです。
「美」の考察とその視点がどうも人と違っているようです。
「美しい」とは何か?
普遍的な「美」とは何か?
人間にとって「美」とは何か?
真の「美」とは何か?

美しい<構造物><人><絵><風景>などに引き寄せられる<私>がいます。
しかし、その瞬間にその「裏側」を知ろうとする私が働きます。
結果として「美しい」と思ったものが「美しくない」と判断を下す場合もあります。
私の場合これ結構多いんですね。

私の「展望」
さらなる「美」の追求。
偏見や差別、偏りや蔑視によらない「美」の追求です。
結局は「価値観」に依存する事柄。
「美」とはいかにあやふやなものか。
その「美」を追求する私。
私の生きざまそのものが「美」でなければ、また問われなければならないことのように思います。

「シーズン・オフ」、私を見つめ直すよい機会です。
ゆったりと、しかし確かな日々を過ごせればと思っています。

第84回('03/7/10)「シーズン・オフに想う」この項終わり。


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