第91回('03/12/13)

「クリスマス・コンサート」に想う

「クリスマス」といえばキリスト教の宗教的行事です。
キリストが生まれた日をお祝いするお祭りです。
以前に比べて私たちの国では近年少し慎ましくなったとはいえ、我が国の宗教に対する大らかさを反映して、現在でもまだまだこの「クリスマス」をキリスト教国的なにぎやかさで(主に米国でしょう)迎えるという習慣が続けれらています。
歳末の商業ペースに乗せられていると多くの人々は知りながら、我が国ではこの日を逞しく「庶民の楽しみ」としても受け入れています。

この時期、クリスマスの楽しい曲を奏し、指揮をし、また新しい年を迎えるという時期と重なって晴れやかな気持で迎えてきたのですが、実は私の中では途切れることなく「ある想い」が<重苦しい思い>となって私を覆っていました。

私の<重苦しい思い>、それは私の中の<宗教的懐疑心>です。

その私の<懐疑心>、よく言われるような<クリスマスはキリスト教信者のためのもの>であって、他宗教の人が、あるいは無信仰の人が祝うことが<おかしい>といった類や日本には真の意味での宗教があるのか、キリスト教がこの日本でどれほど根付いたものになっているのか、といったものではありません。
それは、私の体験を通して感じたキリスト教に携わる一部の人たちへの懐疑的要素でした。

今からおよそ35年前、私はキリスト教の洗礼を受けました。
高校生でしたから、私の意志でキリスト教に入ったことになります。
洗礼を受ける直前、私の恩師から「これから大変になるね」と言われたことを思い出しますが、私はその言葉を本当の意味で解していなかったとはいえ、私なりに重く受けとめながら私なりのキリスト教への<確信>を感じて自らの意志で洗礼を受けました。
その<確信>とは、自由への扉が開けられるかもしれないとの思いと、自らに対する、そして社会に対しての正義感のようなものだったと思います。
オルガニストとして携わってから30年の間も、その確信を自らの内で疑ったことは一度もありませんでした。
しかし、その教会を「不幸な結末」を経て出ることになった経緯(いきさつ)は、人としての弱さ、狡猾性、宗教性について自分のこととも照らし合わせながら随分考えさせられた経験です。
教会での30年を通して少しずつ蓄積されていったものの結果が「不幸な結末」として現れたということでしょうか。
教会として人が集まる、財産を持ち維持していく、社会との関係、そして個人的資質、それらの中に多くの矛盾を感じてしまっていた私。
本当の意味での人としての<智恵>が必要だということを痛感していた頃の出来事でした。
今年、教会に行かなくなって7年です。(このあたりの事情と思いは「日記」のNo.3、No.12、No.28に書いています。96年から97年にかけてのことでした)

しかし、今年はこれまでとは違った「クリスマス」となりました。
その<重苦しさ>であった「懐疑的要素」は今、私の心の中から払拭されています。
キリスト教が持つ思想的要素が人間にとってやはり大切な指針になると確信を得たからです。

「イエス」に対する関心は毎日の思いでした。
私のキリスト教への思い(正確に言うならば、イエスの存在と生きざま)は洗礼当時も、そして今でも変わらないと思っています。
ただ、教会との一件で、私は一層「教会嫌い」に拍車をかけたようです。
「クリスマス」のこの時期、その葛藤が私を<重苦しい思い>へと向かわせていたのです。

●あらゆる抑圧からの解放。
●差別無く、人が人のために役立ち、生きる。
●人は万物の支配者ではない。

この単純ながら人間にとって一番困難な道、これがキリスト教における一番大事な示唆なのだとの私の確信です。
人が自由となり、互いに尊び、平和な共存を目指す、これが人として「生きる」ということなのだと改めて知るのです。
(しかし、世界で起こっているのはその困難さの現実です!)

「クリスマス」、その確信の思いをもって「クリスマス・コンサート」を振ることが出来ればと私は願っています。
平和への希求、人としての尊厳の喜び、すべての人を愛することの幸福。
私の原点へ戻ってのメッセージ発信です。

第91回('03/12/13)「「クリスマス・コンサート」に想う」この項終わり。


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