千原英喜『おらしょ』


千原英喜作曲 混声合唱のための『おらしょ』 カクレキリシタン3つの歌

第一楽章:グレゴリオ聖歌の旋律に基づいたアレルヤと、長崎の民謡・ハイヤ節を歌う。ハイヤ節は、信仰のために故郷を棄てなければならなかったカクレの人々の望郷の歌として歌われる。

いきなりだが作曲者の千原英喜さんの解説にわからないところが‥‥。
長崎県平戸島の「五島ハイヤ節」とは?
ハイヤ節というのは全国各地にあるもので、どこでもただ「ハイヤ節」と呼ばれている。
分類の便宜上、頭に地名をつけて呼んでいるので、‘長崎県平戸島の「五島ハイヤ節」’と言われると今のところわからない。
平戸にある田助ハイヤ節のことなのか、五島にある五島ハイヤ節のことなのか‥‥。
これがハッキリしないと、背景説明もしづらい。
平戸の謡か五島の謡かわからないので、
外海から五島に移住するときのことのものか、五島から平戸へ移住するときのことのものかわからない。
まぁどちらの謡にせよ、キリシタン迫害の手を逃れて移住していく者の事を背景として謡っていることは間違いがないであろう。

で、ハイヤ節について調べてみたが、いかんせん全然知らない民謡のことなので非常に調べづらく、結局「おらしょ」に使われているそのものの歌詞には行き当たらなかった。しかしながら、多くの九州地方の民謡にほとんど同じ歌詞が見つかることから、この歌も元々は、酒盛り歌で、男女の恋の歌であろうと思われる。

けれども、民謡は民衆歌であるので決まった気持ちで歌う必要はないし、このハイヤ節を望郷の歌として歌ったとしても何ら不思議はない。潜伏キリシタン達はオラショを大声で歌うことは出来なかったから、このような民謡に思いを込めて大声で歌った、と言うことは十分ありえる。

とりあえず気になる歌詞についていくつか触れておく。

■ひとつ唄いましょ はばかりながら 唄のあやまりャ ごめんなりよ

これは生月のキリシタンがオラショを間違えてうたってしまった時に、申し送り(神様に対して何を祈るか申し上げること)の際に言う言葉に似ている。
「(オラショの)言い誤りは、まっぴらお許し下さい。」と言う。

■鯛は瀬に棲む 鳥ャ木にとまる 人は情けの 下に住むよ

壱岐の民謡「じょうさ節」に似たフレーズがある。
「鮎は瀬で住む 鳥ャ木にすまう 私ゃあなたの下に住む」
この後「あなた百までわしゃ九十九まで 共にゃ白髪の生えるまで」
と続くので、少なくともこちらは夫婦・男女間の謡であることがわかる。

ハイヤ節とは熊本県天草(長崎地方とは別)の牛深に端を発するといわれ、平戸は九州西側航路の要地だったので、ハイヤ節も盛んだった。
主に船乗り・漁師によって各地に伝えられ、謡われた。
港近くの色街で多く謡われた酒盛り唄である。
三味線などが入り賑やかな民謡。

男女の別れをうたったものに、故郷と別れるキリシタンの心が隠されていたのでは‥‥?とは私の推測である。

第二楽章:生月のかくれキリシタンのオラショとその元となったカトリックの聖歌を歌い、1591年頃のキリシタン聖堂のイメージを幻視する。

『宇宙について』の項で書いたオラショの内、ぐるりよおざ、きりやでんず、みじりめんで、あめまりやと、ぐるりよおざの原曲 O Gloriosa Domina と『サカラメンタ提要』所収のグレゴリオ聖歌 Kyrie が歌われる。

「宇宙について」のオラショとの違いは、「宇宙について」のオラショは、生月島の山田集落で歌われるオラショを使用しているのに対し、「おらしょ」では壱部集落のオラショを使用していることである。
しかしながら、転訛の仕方と歌い回しが多少違うだけで、大きな違いはない。だから、『宇宙について』の解説を参照してもらえれば幸いである。

第三楽章:有明海沿岸地方の子守歌のアヤシ言葉‘オロロン’と平戸島の獅子に伝わる民謡「泣き歌」、そして生月島のオラショ「さんじゅあん様」と「だんじく様」を歌う。

平戸はキリシタン嫌いの領主松浦氏により、キリシタンへの過酷な弾圧が行われた。獅子や根獅子でも数多くの殉教者が出ているという。
開国許教後も、「獅子、根獅子、高越(地名、高声とかけている)あげてもの言うな、飯良が来たら口ゃ堤(地名、噤むとかけている)」と言われて差別された。
この地方は、平戸・生月の他の地方にも増して貧しく、人の行き来もなく、外部との通婚も少ない。同族結婚による障害者も出ているほどである。

「泣き歌」はこの厳しい土地にあって、農作業や臼仕事などのつらい仕事のおりに歌われた。また季節ごとにやって来る漁師との別れを惜しむ恋歌でもある。泣くような節回しは同じだが状況によって歌詞が違ったのだろう。
歌の内容がキリシタン的でないだけに、この苦しい土地に押し込められざるを得なかったかくれキリシタン達の慟哭のようである。
「獅子は良いところよ、朝日を浴びてね」この歌詞がでてくると、私は何とも切ない気持ちになってしまう。

「さんじゅあん様」と「だんじく様」については『宇宙について』の項を参照。