九州・長崎のかくれキリシタン


長崎地方のかくれキリシタンは大きくわけて2つの系統になる。
長崎・外海・五島系と、生月・平戸系である。
教義の伝承、細かい組織、信仰の中心がこの2つの系統で大別できる
(あくまで大別。細かく分けると、かなり系統の中でも違う)。

まず、長崎・外海・五島系のかくれキリシタンについて少し述べておく。

まず組織だが、帳方・水方・聞役という三つの役職が存在し、その下に一般信徒がいる。
帳方というのは、バスチヤンと呼ばれる日本人修道者が伝えた教会暦(バスチヤン暦という)を繰る、組織の最高責任者である。日本は太陰暦であったので、太陽暦の西洋教会暦とは祝日がずれてしまう。西洋教会暦の祝日が太陰暦ではいつに当たるのかという暦を繰り出し(日繰りという)知らせるのが帳方である。この暦によって信仰活動を行うので、帳方が最高指導者となったのである。
水方は、想像がつくかも知れないが、洗礼を授ける役であり、聞役はその補佐である。
三役とも場所が違えば少しずつ名称も違うが、役目はほぼ同じである(水方を看房ということもあるのはキリシタン時代の名残であろう)。
また一人の帳方の下の集団を帳とか組とかクルワとかいう。

オラショは、カトリックでも重要視される主祷文「天に在す」と「アベ・マリア」が重要であり子とあるごとに何度も歌われる。ただ元々ラテン語の「アベ・マリア」とその日本語訳の「ガラサ」は別のオラショとして扱われている。ラテン語の方は‘数のオラショ’と呼ばれ、何度も唱えるオラショである。七へん、三十三べん、五十三べん、六十三べんなど回数が決まっており、それはキリシタン時代の教えにしっかり基づいている。七は聖母マリアの7つの喜びと悲しみに、三十三はイエス・キリストの行年に、五十三はロザリヨに唱える53のアベ・マリアに、六十三は聖母マリアの行年に由来している。

他にも様々なオラショがあるが、生月には無いオラショもある。私が気になったのは「アヌスデイのオラショ」であった。
また生月にはないものとして「るそんのオラショ」「天地之始之事」「こんちりさんの略」
がある。「るそんのオラショ」はどういったものかわからなかったが、「天地之始之事」は聖書からきている物語で、天地の始まりとイエスの生涯、最後の審判などが書かれている。しかしその内容には、多くの日本的変容が見られている。
「こんちりさんの略」は1603年に日本司教セルケイラによって書かれたと思われる告解の手引き書である。刊本は現存しないが、写本が伝承されており、司祭が居ず、告白が出来なかった信徒達に重宝されたであろう。おそらく絵踏の後にこの本に書かれている「こんちりさんのオラショ」を唱え、許しを請う祈りをしていたのであろう。

外海地方にはバスチヤンという日本人伝道者の伝説がある。ここから長崎・五島へも広まった。
宣教師がいなくなった頃、この地方で活躍していた伝道者で、洗礼名がセバスチャンであることしかわからない。日本名もわからないという。バスチヤンはジワンという神父の弟子であり、バスチヤン暦もジワンに教わったという。その後、捕らえられ拷問を受けた後、斬首されたと伝えられる。どこまで信じていいかわからないような伝説だが、この地方の信仰を強める役割を大きく担っている。

バスチヤンは、バスチヤン暦、バスチヤンの十字架、バスチヤンの椿、四つの予言を残したとされる。
バスチヤン暦とは上記した通りである。
バスチヤンの十字架とは、バスチヤンが処刑されるとき身につけていた十字架で、バスチヤン自身が出津の重次という信徒の者に届けるよう役人に頼んだという。役人はその頼みを聞いて届けさせたという。
バスチヤンの椿とは、彼が東樫山で伝道していた頃、椿の木に十字架の印を付けた。この樫山は潜伏キリシタンの聖地となった。浦上三番崩れの頃、この木が切られると聞き、前もって枝を切り各戸に配ったという。それが聖遺物のように扱われたのだ。

四つの予言とは、
一、お前達を七代までは我が子と見なすが、それから後はアニマの助かりが困難になる。
二、コンヘソーロ(告白を聞く神父)が、大きな黒船に乗ってやって来る。毎週でもコンヒサン(告白)が出来る。
三、どこでも大声でキリシタンの歌を歌って歩ける時代が来る。
四、道でゼンチョ(異教徒)に会うと先方が道をゆずるようになる。
である。この予言を胸に潜伏キリシタン達は祈り続けたのである。
そして七代目にちょうどキリシタンの復活が起こり、神父が黒船に乗ってやって来、キリシタンの歌を歌える時代になった(道をゆずるようにはならなかったが)。
しかしそうなっても隠れたまま、告白できず、大声で歌えず、アニマの助かりが困難になった人達、彼らはどんな思いでこの予言を伝承したのだろうか。


次に、生月島のかくれキリシタンについて。

生月では、オジ役・オヤジ役・役中と呼ばれる三役があり、その下に垣内と呼ばれる一般信徒達がいる。
オジ役とは、洗礼を授けたり、葬式(戻しという)を行う役職である。
オヤジ役とは、昔は御番役とも呼ばれ、御前様と呼ばれる納戸神を守り、諸行事を執行する役職である。生月では、この御前様を祀ることが信仰の中心であった。御前様がある家はツモトと呼ばれ、ここに集まって行事をおこなうため、一種の聖堂となった。
御前様は主に聖画であるが、キリシタン時代のメダイや遺物などを祀っている場合もある。聖画は、最初は西洋画だったのだろうが、古くなって書き直す(お洗濯という)うちに段々日本画風に変化していき、ちょんまげを結ったイエスの絵なども見られる。
役中とはオヤジ役の補佐で、行事の補佐や会計係を担当する。小行事は役中の家でおこなわれることもある。

さて、重要な洗礼を授ける役がオジ役と呼ばれ、オヤジ役より軽く見えるのを変に思わないだろうか。実は、昔はオジ役では無く、爺役と呼ばれ、明らかにオヤジ役より上の役職であった。爺役の名称は、キリシタン時代のミゼリコルディアの組の慈悲役から来ているとも言われている、リーダーの名称でもあった。
しかし近年、授け(洗礼)を受けるものも極端に減り、有名無実の役職と化し、オヤジ役よりも下に見られるようになった。そこで段々心情的に爺役からオジ役に転訛していったのだろう。

生月島かくれキリシタンのオラショについてはこちらへ。