No.2('92)

「合唱団員」ということについて


前回は《特殊な合唱団》ということで、シュッツ合唱団の特徴を書きました。 これは言わば器の話しです。今回はその器の中の合唱団員について書こうと思います。
合唱団には様々な個性をもった人達が集まってきます。
シュッツ合唱団のように一応門を開き、どなたでも入れます、とする団では当然のこ とです。
皆さんはどの様な動機でシュッツ合唱団に入って来ましたか?
前回に書いた《特殊な合唱団》の指揮者としての理想は以下のようになるのですが。
他にもあるでしょうが、重要なことはこんなところでしょうか。
しかし、これらを全て備えている人はそうはいません。これは課題であり、目標です。特に後の3っつが難しい。
現実としては次のような思いで入って頂いているのでしょう。
  1. とにかく合唱が好きだからしたい。
  2. 合唱団の演奏を聴いて、その音楽を共に体現したい。
  3. 合唱音楽を学びたい(もちろん、発声もです)
  4. 新しい可能性を探りたい。
ここから出発して上のような目標へと近づいていってくれることが望みなのですが、 しかし・・・・。
これからはちょっと辛辣で耳が痛いと思う事柄かもしれませんが、聞いて下さい。
人が集まるということは言い換えれば人数分の「身勝手」が集まるという話です。
上に挙げた1.2.3.4.は(〜したい)という欲求です。つまり「欲」ということになりま す。
これには「強い人」も「弱い人」もいます。「欲」がです。
「欲」の強い人は、強ければ強いほど欲求が満たされることの可能性が大です。
「欲」そのものは決して悪い要素ではありません。
「欲」とはより良くなりたいと思うエネルギーです。これがなければ向上などあり得ません。問題はそれを出す時の行動、そしてタイミングです。
一番困るのは自分のことばかり考えて自分本位に行動する人、自分本位に物事を解釈 してしまう人です。
一方、「弱い人」の中には“自信”がないからと、一見、おとなしく振る舞う人がよ くいます。これも困ったものです。これは「甘え」から来る「欲」の裏腹でもあることが多いからです。
この種の人たちは自分には「欲」がないかのように見せていますが(本当は「欲」が強い人とそう変わりはないかもしれません)、実は人から何かしてもらうまで待っていることが多いのです。これらは言い換えれば「自分を見てほしい」「自分が目立ちたい」という「自己顕示」なのです。
そういう人を私は多く見てきました。
舞台に立つだけでいいと思う人も、ソロをしたいと思う人も、一見目立たないように 振る舞っている人も結局は自分をアピールしたいという気持ちの現れです。
次のNo.3で“混声合唱”ということで書いてみようと思っているのですが、そこで書 くことになる男女の問題も同じで、結局はこのことに突き当たります。

「欲」、これは決して否定的なことではありませんよね。
ただ、シュッツ合唱団では「音楽」に「貪欲」であって欲しいと願っています。
より良い音楽作りのために、「欲」を出して欲しいと思っているのです。
何故か?
それは音楽を「それ独自の完結した領域の世界」として捉え、「生きる」ことの証で あり、音楽そのものが人生であるという考えから来ています。
これは言わばプロの信条です。歴史上の音楽家は全てにおいてこのように考えていた のだと思います。音楽を「趣味」としてだけで捉えないということです。
いずれ、「プロ」と「アマチュァ」についても書かなければならないのですが、ここ では次のようにまとめて書いておきましょう。

しかし、No.1にも書いたように「シュッツ合唱団」は「特殊」な合唱団なのです。
「室内合唱団」を原液と例えれば、「シュッツ合唱団」はそれを少し薄めた液です。 決して、中身が違う成分だということではありません。




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