八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.258


【掲載:2025/09/21(日)】
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【批判し、共鳴し、そして常に自分で事実を確かめましょう】

 自民党総裁選について、一部のテレビ局で〈我鳴って〉いました。
何だか私の中では盛り上がらない番組です。
内容は日本の行くべき進路に関わる重要な事には違いありませんが、何かが腑に落ちない。
それはきっと仲間内の権力争いとしか映っていないからでしょう。
国民の多くはこの動向を容認しているのでしょうか。
民意と乖離(かいり)している気がして仕方有りません。
衆参議員選挙の結果を受けて総理大臣降ろし??
様々な国外・国内政策が止まり、政治が止まっている。
言葉は気持ちの悪い丁寧語だが、何だか傍から見れば言葉とは裏腹に醜い争いに見える。
ますます、この国の問題点が病魔のように襲いかかって来ているようで、
良薬や手術でもって治療しなければならない状況のように私はやはり見える。

 人間は「争い」や「競争・戦い」が好きなのですね。
〈敗者〉が出る、ということは想像せず〈勝者〉に成ることしか考えていない。
争いあっている間にも今にも息絶えようとしている者が居るということには目を向けず戦いに勤しむ。
なんて傲慢で、自分本位なのかと思ってしまいます。

 NHKで[江川紹子(前編)“カルト”が抱える問題と向き合う]という番組が有りました。(9/24には後編放送予定)
その番組紹介で「ジャーナリズムの一番の役割は人々が考える材料を提供すること。
ネットで様々な情報が氾濫している今だからこそ、自分で事実を確かめ自分で考えてほしい。」
「ジャーナリズムが危機的な状況にあると考える理由は、止まらない新聞・テレビ離れ、SNSの影響力からくるメディアの萎縮、
共感を得るため事実よりもエモーショナルな思い優先の報道が増えているのではないかということ。
健全なジャーナリズムを支えるためには、疑問があれば批判するし、いい報道や番組に関しては声を届けるという市民の力も必要だという。
事実を確かめて考えるということが今ほど大事な時期はない」と語ります。

 最初に書いたテレビ局の番組は、相も変わらず視聴者を一方向に向けようとしていて、「自分で考えて欲しい」では無く、
「今はこうだからこちらに向かいましょう」との方針。健全ではないものを感じます。
江川さんは、「他者の被害には鈍感で、平気で人格攻撃をする人が、自分に対する非難には強い被害者意識を示す、
というのは、結構ありがちな現象かもしれない」とも他で書かれているのですが、
こういった言葉と共に、上に書いた「疑問があれば批判するし、いい報道や番組に関しては声を届けるという市民の力も必要。
事実を確かめて考える」という言葉が残ります。

 テレビ番組に対する批判の目を養いたいですね。
それは江川さんも言うように「事実を確かめる」ということでしょう。
語る氏の姿勢、「ただ闇雲な攻撃的姿勢ではなく、良い事を知らせる姿勢がとても重要」だという事に賛意。
まだまだこの国は混迷を続けることでしょう。
私たち一庶民は「自分で事実を確かめる」に目を向けましょうか。





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