「マントヴァ室内楽フェスティバル」からの招聘による演奏のため、5月31日から6月4日までの期間イタリアを訪れました(我々の演奏は6月1日から4日まで)。
「マントヴァ」という街(人口約5万人。イタリア共和国ロンバルディア州南東部にある都市で、マントヴァ県の県都)。
日本では知名度が低いかもしれませんが世界文化遺産にも登録されている歴史的に価値ある街です。
またその地はウィリアム・シェイクスピア作の悲劇『ロミオとジュリエット』の中に登場する街として、
そしてヴェルディ作曲のオペラ「リゴレット」の舞台にもなっている<知る人ぞ知る>街。
私にとってはバロック音楽の大家クラウディオ・モンテヴェルディが(今年は生誕450年という記念の年)、
その生涯の中でも重要な作品を書いたとされる街としてどうしても訪れたいと思っていた場所でした。
合唱団は7年前にも演奏地として訪れているのですが、今回は「第5回マントヴァ室内楽フェスティバル」からの招聘によって再度訪れる機会を得ての演奏旅行です。
旅は本当に面白いです!演奏会そのものもそうですが、旅では予想だにしないことが起こり、その結末もまた想定外の事が起こります。
今回の旅行は正にその驚愕の連続でした。
驚きの第一弾です。それはドイツのフランクフルト空港での出来事から。
我々一行は50名ほど(合唱団とその同行者)で出掛けたのですが、マントヴァに行くためにドイツからイタリアのヴェローナに渡るという行程を取りました。
その経由地のフランクフルト空港がこれまでに例のない最悪の天候不良に見舞われ、空港は機能が麻痺。
飛行機は空港には着陸できたものの機上で少し待たされ、入国審査を経て乗り継ぎゲートに行って知らされたのは、マントヴァ行き飛行機の欠航です。
この最初の段階で「?」の「なんだ!これは」の気分。「さてどうしたものか?」
ルフトハンザ航空は宿泊のホテルを用意します。
ここで宿泊するとなれば現地到着予定が一日遅くなります。
時差ボケ予防として一日早く現地入りを計画していたのが功を奏する形となったのですが、これは全く予想外の展開。
もう一つ問題が起こりました。私を含めるビジネスクラス利用の3人には他の都市を経由して同日中にマントヴァに入る別便が用意されていました。
他のメンバーと別れて先に行くしか選択肢はなかったのですが、これが大変な事に。
再度別便も遅れ、経由先のミュンヘンでも機上で待たされ、ヴェローナ行きが離陸したのは23時20分(遅れること一時間35分)、
そしてヴェローナ着が0時30分。予想通り預け荷物は届いておらず、ロストバゲッジの手続きに手間取ってタクシーに乗ったのは1時30分。
そして目的地であるマントヴァのホテルに着いたのはなんと深夜の2時10分だったのです。
フェスティバルの地、マントヴァにはヴェローナ空港からタクシーを利用。
外国に行ったとき、良からぬ話も聞くタクシーに乗るには緊張感が走ります。
法外な料金を言われたりすることがあったりするからなのですが、この時の運転手さんは良かったです。
高速道路が夜間工事のため他の道を走らなければならなくなったと事情を話します(少し料金は上がりましたが)。
予定より遅れてホテルに着いたときです。ホテルは電気も消え、扉も鍵がかかっている様子を見て彼がわざわざ親切にホテルに電話。
また、出迎えてくれたホテルの叔父さんが優しそうで、快く動いてくれました。一気に不安が吹っ飛んでしまった我々です。
この時には悪天候でのアクシデンによるストレスはすっ飛んでしまっていました。
マントヴァに着いた翌日は練習日。快晴です。昨日の件で遅れて到着した他のメンバーと合流し、早速私たちの演奏会場のメインとなる、「聖バルバラ教会」へと向かいます。
正面の立派な建物がドゥカーレ宮殿。この敷地の一角に私たちが愛する教会があります。
宮殿の中に入ると広場がありました。ここもフェスティバルの演奏会場の一つとなっています。
ここではオーケストラの演奏が行われるようです。この時はベートーヴェンの第5(運命)の練習が始まっていたと思います。
この音楽祭の期間中、400名程のアーティストが参加、街中で180もの演奏会が組まれています。
私たちのスケジュールはこの中で、4日間で計9回の演奏会(うち1回は野外)というものです!
(どの演奏会も時間にして30分~40分と決められていました)
さて、目的の場、聖バルバラ教会(Basilica di Santa Barbara)到着です。
後方二階席から撮りました。
正面(祭壇)に向かって右手上には歴史的に貴重なオルガンがあります。
ここで最初のリハーサルです。良かったですね。この響きを再度体験したかった!この響きによる空間を合唱団に体験させたかった!
もう、幸せの極致です。何度もフレーズの取り方(フレーズの始まりと終わりの時間的処理)や響きを確認。
これはここの場所でしか味わえない、練習し得ない事なんですね。一人一人の声の響きが前方の祭壇に向かって飛んでいく。
そしてこの教会全体を包む!その心地良さは格別です。
翌日6月1日、いよいよフェスティバルが始まります。そうなると街は賑わいますね。
人も多くなり、出店が並びます。この雰囲気で一気に演奏心に火がつきます。
この歴史的建造物ドゥカーレ宮殿前ソルデッロ広場も「市」が立ちました。
ご当地の物産が所狭しと並び、買い物客が賑わしく行き交う活気に満ちた場と化していました。
買いたいものをいくつか見つけたのですが、時間が無く結局買えませんでした。残念!
第一回目の演奏は6月1日、午前10時30分からドゥカーレ宮殿内「川の間」です。
プログラムは以下の様に組みました。
・Io mi son giovinetta (C.Monteverdi)
・Non più guerra pietate (C.Monteverdi)
・Zefiro torna, e 'l bel tempo rimena (C.Monteverdi)
・Quattro Mottetti (C.Monteverdi)
・春が来た(編曲:当間修一)
・ひらいたひらいた(編曲:当間修一)
・夏は来ぬ(編曲:当間修一)
前半がモンテヴェルディ生誕450年記念演奏としての「マドリガーレ」。本場イタリアでの「イタリア語」による演奏。
後半は軽めの曲で私が編曲した童謡・唱歌を演奏しました。聴衆の反応は次の演奏へと繋がる程に良い感触でした。
驚きの第二弾です。
写真では聴衆が大勢と映っていますが、実は演奏し始めた時は並べられた椅子の前の方に少しの聴衆。
「少ない!」と思いながらも演奏は快調に進みます。この部屋は観光コースに入っているようで観光客が部屋の後ろを自由に通り過ぎていきます。
その人たちが立ち止まり、座り、聴き入り、またたく間に席が埋まっていった結果がこの写真というわけです。
最後には熱い拍手と笑顔。これを見て私は「これはいける!」と思いましたね。
フェスティバルから招聘された合唱団とはいえ、充分に私たちの事が知られていたとは思えません。
〈日本から来た合唱団〉として物珍しさはあったかもしれないのですが、この時、演奏そのものに対して確かな手応えを感じた私です。
下の写真は新聞記事に掲載されたものです。
ご覧いただければ判るのですが、普段着での演奏です。これはフェスティバル側からの要望でフォーマルな服装でなく臨んで欲しいとのこと(ジーパン&シャツ)。
それは全演奏会での約束で、聴衆を世代を超えるものにしたいとの意図によるものでした。
翌日、6月2日(金)、午前11時から四回目の演奏。聖バルバラ教会(祭壇前)
客席前(祭壇の前)での演奏です。演奏者の全てが見える。そこで聴衆と私たちが心を通わせたことを確認できた演奏会となりました。
プログラムは全て日本語による曲。
イタリア語に翻訳して、短いながらも曲解説し、詩を朗読していただきましたが、細かなニュアンスまで理解されたとは思われませんでした。
驚きの第四弾
しかし、聴衆は「涙して」聴いていただいたのです!
私たちの想いが音楽語としてのフレーズとなり、そして協調の極致であるハーモニーが人間共通の「美」となって「感動」へと繋がった、そう信じます。
個人的なことになるのですが、「瓜はめば子ども思ほゆ」は我が子を思って作曲したもの。
「君を慕い恋うる歌」は若くして逝った(悪性リンパ腫)、五十嵐玉美(アルト)を慕っての曲。
どちらの曲も私の原点となっている〈想い〉です。
八回目の演奏。
●22:30~カスティリオーニ広場での演奏。
さて、いよいよフェスティバル最終日。6月4日(日)、午後5時から第九回目となる最後の演奏会。
それは、満席!そして立ち見の聴衆は溢れて合唱団の間際まで、いや、後ろまで広がっての演奏となりました。
プログラムは以下です。
●17:00~聖バルバラ教会 (Magnificatのみ後方2階から演奏)
・Magnificat a 6 voci (C.Monteverdi)
・Agnus Dei (S.Barber)
「6声マニフィカト」は総括的演奏となりました。私にとっての聖地、マントヴァ・聖バルバラ教会での演奏。感無量でした。
そして驚きの第六弾がやって来ました。これは一生忘れることができない出来事になりました。
この日、バーバーの「アダージョ」を合唱編曲した「アニュス・デイ」を聴きたい人が多かったようです。
後方二階席から移動して祭壇前へ。聖堂が静まりかえり、曲の出だしの息を呑むような一瞬になんと教会の鐘が鳴り始めたのです!
「しまった!」と思いました。事前に鐘が鳴る時間を確認しておくべきだった。〈後悔先に立たず〉です。
しばらく鳴り止むのを待ちます。聴衆の事が気になり、少し鐘の音が小さくなった時に曲を始めようとしました。
音取りが始まり、指揮を振ろうとしたときメンバーの何人かが不安そうに小さく顔を横に振ります。
「音が聴き取れなかった」とのサイン。そして始まった第一声が聞こえない。弱くなりはじめたと思った鐘の音が同時に再び大きくなったのです!
直ぐさま指揮をやめて曲を止めます。これは鐘の鳴り止むのを待たなくてはなりません。少し間が空きます。
この時です。一部の聴衆が拍手を始めたのです。そしてその拍手は広がって満場の聖堂に鳴り響きました。
「いいですよ!鳴り止むまで待ちましょう」との思いの拍手。振り返って見れば「笑顔」で聴衆は応えます。
幸せでした。こんなに素敵な人たちの前で演奏できる!
鐘の音はそれからしばらく止むことがなかったのですが、その間の、何と豊かな静寂の時間だったか。
演奏は素晴らしく充実したものになりました。あんなに私自身が「無」になれたことはありません。有ったのは「音楽」だけでした!
演奏し終えた後は怒濤のスタンディングオーベーション。次々と私と合唱団に近づいて来て握手を求め、そして称賛の言葉を語りかけます。
そこは熱狂の場。どう収拾を付ければよいのか誰も考えてはいなかったのではないかと思います。
私たちの担当となっていたフェスティバルスタッフの一員、ニコロさんに「アナウンスを」とサインを送るまで騒ぎは終わりそうにありませんでした。
「アニュス・デイ」の後ではアンコールは控えてしないことに私はしていたのですが、しかし状況はそんな雰囲気ではなくなっています。
せがまれるがごとく、コンサートを収拾しようと、鷗(木下牧子)です。
ニコロさんがその演奏中、我を忘れてスマートフォンで私たちの動画をとり続けていたのが印象に強く残っています。
アンコールが終わって、再び聴衆の熱狂に火がつきます。まだ終わりそうにありません。
「これで、本当に終わりです」とのサインを送り、ブルックナーのモテト「Locus iste」を歌い始めます。
聴衆の中には一緒に歌っている人がいたと聞きました。
(帰国後、この時の「アニュス・デイ」の演奏録音を是非送ってほしいとの連絡が入ったそうです。特別にその方には送るように指示しました)
フェスティバル初日、2回目を終えた時点で私たちの演奏は街中の噂になっていました。
演奏会場へ移動する際、歩いていると必ずといってよいほど「Bravissimo!」「Fantastico!」などと人々が口々に声をかけてくれ、握手を求められましたし、
通りの向こう側から大きな拍手が起こったりもしていました。
演奏を終えて控え室に入ると、それを追うように沢山の人が入ってきます。
握手を求められ、ハグまで。
熱冷めやらぬ人々が溢れて部屋も熱気に包まれます。
センセーションを巻き起こした演奏会。
その機会を与えて下さった総監督のカルロ(Carlo Fabiano)氏(右側)。
毎晩、演奏会後にお世話になったお店、エルべ広場の「Osteria dei Commensali」。
ここで働くルイージ(Luigi )さんにはお世話になりました。
その働き振りと人柄にどれほど疲れた体を癒されたことか。
「演奏会には行くよ」と言っていた彼、ルイージ。しかし来られなかった彼にお礼の歌をプレゼントです。
私たちが歌うのを動画に撮っていました。歌った後は喜んでくれていましたね。
フェスティバルも終わり、一日だけ休養の日を取りました。
午前中、湖を見に行こうと出掛けます。そして湖上巡りの観光船でマントヴァの街を湖上から眺めました。
この後、昼食を食べ一旦ホテルに戻って休憩です。疲れのため、ベッドで寝入る私。
そして驚きの第七弾がその間にやって来たのです!しかし、その話は後に。
夕方、夕食のために偶然に訪れたお店「Ristorante Tiratappi」。
とても素敵なオーナーのお店でした。
お料理もワインも美味しかった。
入った瞬間、「ここで撮ろう」と私が言います。
各テーブルで灯されているローソクを見て、発行予定のCD「讃美歌集」の表紙写真をここで!ということでした。
食事を済ませ、オーナーに(とても良い人でした!)許可を得て撮影開始です。
驚きの第七弾の話です。
観光船に乗ってホテルに戻り、寝入った私を目覚めさせたのは雨が降る激しい音でした。
後で聞けば雹が降っていたそうです!
フランクフルト空港での悪天候の事を思い出します。
しかしです。
「晴れ男」の私、いざ出掛けようとしたとき見事に雨があがります。
メンバーがスマートフォンのお天気アプリで雨雲を追っていたようなのですが、私の出かけと同時に雨雲が奇跡的に消えたそうです。
外に出れば、「ご苦労様」とばかり街がお出迎えです。
そして上記の夕食・撮影と続きます。
充実の演奏旅行でした。
好きな街、マントヴァ。
夕食へと向かう私の後ろ姿が安堵と共に幸せそうだと私には見えています。
道路の水たまりに映る街が何とも言えず感動的に感じる私です。(写真:田坂悦子)
帰国後、一ヶ月が経った頃、フェスティバルのスタッフからメール。
「今でも貴方たちの演奏は街の噂になっているよ」
嬉しく、また誇らしく思っています。
第149回(2017/07/05)《2017/6/1〜6/4「第5回マントヴァ室内楽フェスティバル」での招聘演奏》この項終わり。