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*序論 [#p99252a1]
***デジタル教科書とは何か? [#j8f7642f]
デジタル教科書、または、電子教科書とは、電子書籍の端末で読むことのできる「教科書」の事を指す。

では、電子書籍の端末、とは何であろうか?既に、候補はある。


***「紙とは何か?」 [#f022bea6]
「紙とは何か?」現代の人にとっては愚問である。

しかし、1000年前であれば、「紙とは何か?」と聞かれても、多くの人が答えられない。
紙は日常的ではなかった。知識の伝達は、竹簡や木簡、そして何より、口伝で行われていたのであろう。知識の伝達の手段とするには、紙は便利だが、高すぎた。

長い歴史をかけて、人間は「紙」を改良し、大量生産できるように発展してきた。知識の伝達にも使えるように。

電子書籍の端末も、同じ道をたどるであろう。
あまり、眼の前にある電子書籍の端末に、囚われすぎないほうがよいと、私は思う。


***キーボードで打ってノートをとって、学習できるのか? [#a2c81dc7]
文字が一般的になる前は、知識の伝達・学習は、音声で行われていた。また、映像で行われていた。
それに慣れた人は、文字を通じて知識の伝達・学習することが難しい。

実際に現代でも、テレビなどに慣れすぎて、文字を通じて学習することが苦手な人たちがいる。
あれは、その人が怠けているのではなく、「文字を通じて学習する訓練ができていない」だけであろう。

そこで、私が大変興味を持っている命題は
-人間は、「訓練すれば、キーボード打ちを通じて学習することができるか?」

それは例えば
-(文字情報中心の)学校の授業を、紙のノートに書いて板書する人と、PCのキーボードを打って板'''打'''する人とでは、どちらの方が、記憶に残るだろうか

である。今のところ、私は、キーボード打ちをした方が記憶に残りにくい、という結論を持っている。
私が、小さい頃からキーボード打ちでノートをとり、定期テストの勉強をしていたら、もう少し、記憶にも残りやすいだろう。しかし、本質的に紙と鉛筆の方が、記憶に残りやすいと思っている。



***キーボードを打つ学習の長所と短所 [#lcf15dc6]
キーボードを打つ、という操作による学習はいくつかの利点がある。たとえば
-記録するスピードが速いこと
-検索ができること
-複製が簡単であるうえ、かさばらない。
-他者との共有が簡単なこと

など。
しかし、これら長所のうち
-記録することが速いということは、一つの言葉に触れる時間が短い

ことを意味する。紙と鉛筆ならば、書くだけで覚えられたことも、キーボードを打つだけでは覚えられないことが多々ある。しかし、私が感じる最も大きな欠点は

-(現在市場に出回っている)キーボードを打つという操作は、文字を書くのに比べて大変高度

であることにある。なぜ、キーボードの下から3段目、左から2番目のキーを押すと「あ」(ないし「A」)と表示されるか。なぜ、こんな曲線(ないし線分)が表示されるのか。自分の体のどこも、そんな曲線や線分を描く運動をしていない。
正直なところ、私はこの齟齬が今でも少し苦痛である。

脳は、デジタルにはできていない。デジタルな物を入れるには、脳のどこかで変換をしないといけない。それが、紙と鉛筆の場合は必要ない。
これが、「キーボードを打って学習する」ことの欠点であり、今でもコンピューターをいっさい触れない人が一定数存在し、多くの人が「コンピューターは苦手」と言う原因ではないかと、私は感じている。


*デジタル教科書について [#o34948eb]
***どんなデジタル教科書であるべきか [#w4476275]
「どんなデジタル教科書であるべきか?」
それは、''その教科書の中身が、充実しているかどうか''、である。
何があっても、以下の事柄は些末なことにすぎない。
-デジタル教科書をどんな電子書籍端末に入れるか?
-教科書がどのようなシステム(開発環境・配布システム)で作られているか?
-デジタル教科書がビジネスモデルに乗るか?

当然のことながら、これら「些末」なことも充実するべきである。教科書をすべて無料で配布していたら、配布する人は生活できなくなり、結果的に、よい教科書は作れなくなる。

しかし、これらは全て「些末」であり、上記のようなことが''付加価値として''他を圧倒する要因になるならば、それらは''自分さえ良ければ良い人間''の''教育なんて未来なんてどうでもよい''意図から生まれるものだ。

アメリカのとある州では、州の赤字をなくすために、コストの低いデジタル教科書を導入していると聞くが、言語道断である。それに賛同する大人たちは、自分たち大人の尻ぬぐいを子供にさせるほど、大人としてのプライドはないのか。

***『教科書のビジネスモデル』について [#i2c85d15]
『教科書のビジネスモデル』などというものは、そうやすやすと語るべきでない。
もし語るならば
-『この教科書(をよくすることへの)投資によって、20年後の社会にどのようなリターンが返ってくるか(これは、経済的であっても、経済的ではなく文化的とかモラル的とかでも何でも良い)』
という高い視点から議論されるべきである。

ただし、一つ注意をしたい。教育学には、投資に対するリターンがこれだけあった、といったことについて、経済学のような理論どころか、生のデータさえ、一切存在しない。
たしかに、「○○メソッドを使って、△△の成果が出た」というデータはたくさんある。しかし、そこに因果関係があることを証明することは困難である。そういった証明を徹底して行うならば、結局のところ、人体実験になってしまうことが多い。私の考えでは、ここを科学的に行えるようになるのは、脳科学がもっと発展してからになるのではないかと考えている。



***デジタル教科書そのものの利点 [#md4ecc4c]
教科書には、このような意図をこめて作った、この文章はこの意図から、この図はこの意図から、というデータを残しておき、その教科書で育った人に、追加調査を行うことがあるべきだ。それは、さらにその後の教育の成果のためである。同時に、追加調査される際の教科書は、たくさんの人の眼が入った、十分に練られたものでなければならない。それを実現する方法論として、ネット上でオープンになっている教科書(≠電子教科書)というのは、たいへん実現性の高いものである。

ただし、電子教科書にしていくことは、充実につながるでしょう。
今よりも、内容がオープンになるから。


***しかし、「良い教科書」とは? [#pa8cb935]


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