最後に、2点、大事と思うポイントを記しておきたいと思う。
デジタル教科書について、いくら綺麗事を言ったとしても、
結局、ある程度、お金の回るシステムではないといけない。
以前書いたように、結局、無償で行われるだけの行為では、
長期的に見ると、良い教科書は作り続けられなくなる。
『教科書市場のビジネスモデル』のようなものを考える必要はある。
しかし、もし語るならば
という高い視点から議論されるべきである。
ただし、一つ注意をしたい。
教育学には、投資に対するリターンがこれだけあった、といったことについて、
客観的な理論どころか、生のデータさえ、一切存在しない。
たしかに、「○○メソッドを使って、△△の成果が出た」というデータはたくさんある。
しかし、そこに因果関係があることを証明することは困難である。
そういった証明を徹底して行うならば、結局のところ、人体実験になってしまうことが多い。
私の考えでは、この研究を科学的に行えるようになるのは、
脳科学がもっと発展してからになるのではないかと考えている。
デジタル教科書がいくら発展しても、
デジタル教科書は、『勉強の補助』でしかない。
真面目にやる子は真面目にやり、サボる子はサボるだろうし、
勉強の嫌いな子は嫌いな子である。
宿題をやる子はやり、やらない子はやらない。
そういった子供が、ちゃんと自分がやるべきことを判断し、
一人の大人として自立していくために、
一番必要なことは、デジタル教科書ではないだろうと私は思う。