はじめに

デジタル教科書についてのニュースが、最近多く見られるようになりました。
電子書籍が本格化したこと

そのうえで、これらのことも作用していると思います。

アメリカで
韓国で

私の見ている限り、は、本当に必要なのか?
必要ならば、どうあるべきか?
必要不必要に関わらず、どのようなことを考えていくべきだろうか?

ということを私なりに記していこうと思います。

デジタル教科書の例

まずは、実際にデジタル教科書の例を挙げておきます。
それぞれが考えていただく材料になればと思います。

数学のデジタル教科書について

13th-noteの教科書は、カラーを使っていません。白黒です。

それは主に、13th-noteの教科書が、数学の教科書だからです。

カラーにしたり、キャラクターを入れたり、
優先順位がと思いました。

他の科目では、もちろん、カラーは不可欠になります。

デジタル教科書について

どんなデジタル教科書であるべきか

「どんなデジタル教科書であるべきか?」
それは、その教科書の中身が、充実しているかどうか、である。
何があっても、以下の事柄は些末なことにすぎない。

当然のことながら、これら「些末」なことも充実するべきである。教科書をすべて無料で配布していたら、配布する人は生活できなくなり、結果的に、よい教科書は作れなくなる。

しかし、これらは全て「些末」であり、上記のようなことが付加価値として他を圧倒する要因になるならば、それらは自分さえ良ければ良い人間教育なんて未来なんてどうでもよい意図から生まれるものだ。

アメリカのとある州では、州の赤字をなくすために、コストの低いデジタル教科書を導入していると聞くが、言語道断である。それに賛同する大人たちは、自分たち大人の尻ぬぐいを子供にさせるほど、大人としてのプライドはないのか。

『教科書のビジネスモデル』について

『教科書のビジネスモデル』などというものは、そうやすやすと語るべきでない。
もし語るならば

という高い視点から議論されるべきである。

ただし、一つ注意をしたい。
教育学には、投資に対するリターンがこれだけあった、といったことについて、客観的な理論どころか、生のデータさえ、一切存在しない。
たしかに、「○○メソッドを使って、△△の成果が出た」というデータはたくさんある。しかし、そこに因果関係があることを証明することは困難である。そういった証明を徹底して行うならば、結局のところ、人体実験になってしまうことが多い。私の考えでは、ここを科学的に行えるようになるのは、脳科学がもっと発展してからになるのではないかと考えている。

少し脱線します

本当に、よいデジタル教科書を作りたいと思うならば、既に現場で授業の経験をある程度積んだ人たちが半数くらいは集まり、これまで自分が教室で教えてきて積み上げてきた教育論というプライドを、いろんな人に切り刻まれいいところ取りをされ、自分の欠点もたくさんさらけ出される、そういう覚悟のある人たちが、真剣に議論し、物を作っていかない限りは、無理ではないかと思う。

正直なところ、私が以前本に寄稿したとおり、教員というのは「授業をするためのまともな研修」というものを普通は受けていない。むしろ最近では、研修の場がないことを恐れ、教員になろうという人がわざわざ塾(教師になるための)に自腹で通うくらいである。

紙から電子書籍へ

デジタル教科書とは何か?

デジタル教科書、または、電子教科書とは、電子書籍の端末で読むことのできる「教科書」の事を指す。

では、電子書籍の端末、とは何であろうか?既に、候補はある。

「紙とは何か?」

「紙とは何か?」現代の人にとっては愚問である。

しかし、1000年前であれば、「紙とは何か?」と聞かれても、多くの人が答えられない。
紙は日常的ではなかった。知識の伝達は、竹簡や木簡、そして何より、口伝で行われていたのであろう。紙を知識の伝達の手段とするのは当時でも便利だったろうが、コストが高すぎたはずだ。

しかし、長い歴史をかけて、人間は「紙」を改良し、大量生産できるように発展してきた。知識の伝達にも使えるように。

電子書籍の端末も、同じ道をたどるであろう。
あまり、眼の前にある電子書籍の端末に、囚われすぎないほうがよいと、私は思う。

新しいことを始めるときは、古いことも想い起こさなければならないという考えから。

キーボードで打ってノートをとって、学習できるのか?

文字が一般的になる前は、知識の伝達・学習は、音声で行われていた。また、映像で行われていた。
それに慣れた人は、文字を通じて知識の伝達・学習することが難しい。

実際に現代でも、テレビなどに慣れすぎて、文字を通じて学習することが苦手な人たちがいる。
あれは、その人が怠けて文字を読み飛ばしているのではなく、「文字を通じて学習する訓練ができていない」だけであろう。

そこで、私が大変興味を持っている命題は

それは例えば

である。今のところ、私は、キーボード打ちをした方が記憶に残りにくい、という結論を持っている。
私が、小さい頃からキーボード打ちでノートをとり、定期テストの勉強をしていたら、もう少し、記憶にも残りやすいだろう。しかし、本質的に紙と鉛筆の方が、記憶に残りやすいと思っている。

キーボードを打つ学習の長所と短所

キーボードを打つ、という操作による学習はいくつかの利点がある。たとえば

など。
しかし、これら長所のうち

ことを意味する。紙と鉛筆ならば、書くだけで覚えられたことも、キーボードを打つだけでは覚えられないことが多々ある。しかし、私が感じる最も大きな欠点は

であることにある。なぜ、キーボードの下から3段目、左から2番目のキーを押すと「あ」(ないし「A」)と表示されるか。なぜ、こんな曲線(ないし線分)が表示されるのか。自分の体のどこも、そんな曲線や線分を描く運動をしていない。
正直なところ、私はこの齟齬が今でも少し苦痛である。

脳は、デジタルにはできていない。デジタルな物を入れるには、脳のどこかで変換をしないといけない。それが、紙と鉛筆の場合は必要ない。
これが、「キーボードを打って学習する」ことの欠点であり、今でもコンピューターをいっさい触れない人が一定数存在し、多くの人が「コンピューターは苦手」と言う原因ではないかと、私は感じている。

「コンピューターをいっさい触らない人たちもいる」

電子教科書については、ネット上ではたくさんの議論が見える。
また、twitter上でも盛んに議論が起きている。
しかし、これらは社会全体から見れば、ごくごく少数派である。
このことは、重要な現実である。

電子教科書がどうなったら、成功と呼べるか、であるが、
それは、コンピューターを嫌っている人たちが、
受け容れられる「モノ」ができたときだと、私は思っている。

同時に、コンピューターを触らないと生きられない社会というのは、
私にはいささか気持ち悪い。それを実現するには、
まだ、コンピューターは成熟していないと思う。
コンピューターをいっさい利用しない
iPadはその

だいたい、私の周りには、twitterというものの存在を知らない人が多数派である。
また、ネット上では議論をしないと決めている人も、私は何人も知っている。同時に、私も基本的に、ネット上での言葉「だけ」による議論には反対である。それが有効であるのは大変に言語能力に長けて人間的に心の広い人でないとできない。

「良い教科書」について

「良い教科書」とは?

とはいえここで、私は、一つの考えを表明しようと思う。
少なくとも、数学については、実際に「良い教科書」は存在する。
数学をどう捉えるか、どう授業を行うか、といった観点を越えて。

いささか、「良い教科書」が持っているべき点を挙げようかと思った。

しかし、これらは理想論である。
結局、実際に作るときに、これら理想論をいかに高いレベルでバランス良く実現するか、それが、紙であろうとデジタルであろうと、教科書にとっては一番大事である。

デジタル教科書そのものの利点

本来教科書には、
この構成はこのような意図をこめて作った、
この文章はこの意図から作った、
この図はこの意図から作った、
というデータを残しておき、
その教科書で育った人に、追加調査を行うことがあるべきだ。
それは、さらにその後の教育の成果のためである。

同時に、追加調査される際の教科書は、たくさんの人の眼が入った、十分に練られたものでなければならない。それを実現する方法論として、ネット上でオープンになっている教科書(≠電子教科書)というのは、たいへん実現性の高いものである。

デジタル教科書の不得意なところ

良い「教育」とは?

教育とは何か。
私が思うに、子供に頭を使わせることである。
しかも、日々、違うことに頭を使わせることである。
ここで「違うこと」には2つの意味があることに注意しておく。

それさえあれば、デジタルだろうが何だろうが、あまり関係なかろう。
問題は、デジタルな処理は「同じことをくり返す」ことが得意であるから、安易なデジタルの応用は「同じことをくり返す」ことの価値を不当に高めてしまい、教育にとって害でしかない、ということである。

丸付けはITにやらせた方が良いという話・・・そうやって、型にはめていくから、話はややこしくなる
丸付けは、貴重な生徒との対話の機会。多人数教育だと、それをやっている暇が無いんだろうけど。


今晩アナウンスはする、あとは試作品の向上に。

デバイスには

調べて実現すること

よい教育が…は大風呂敷なのでやめ
twitterの人をを想定した文章も、そうとう控え目に。それは本質でない。
ネットの利用についても、そうとう控え目に。

視点をどんどん書き出す

極めて、簡潔に書こう!!!!!!!!

調査方法


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